誰が何と言おうと、これが高級車である!
黒塗りのセダンである。いかにも古き良き時代の高級車というスタイルのこの車、オチキスというフランスの自動車メーカーの車で、名はアンジュと言う。
アンジュとはフランス革命以前にあったフランス北西部の州の名前でもある。日本で言えば、武蔵とか播磨とか紀州、長州と言った昔の地名のイメージであろう。どちらにしても、伝統的なイメージであり、名前からしてもこの車は一般大衆向けでないことは確かである。
戦前の伝統を残す高級車、アンジュ。
オチキス アンジュが登場したのは1950年。第二次世界大戦が終結してまだ数年、アンジュは、戦前の伝統を残す高級車でもあった。例えば車の構造だが、エンジン、ギヤ、足回りを備えたシャーシと木製フレームの上に、鋼板のボディを乗せるという昔ながらの技術で作られている。
また、この車の運転席は右ハンドルである。フランスはアメリカなどと同じ右側通行なので普通は左ハンドルのはずなのだが・・・。実は、1900〜10年代の初期の車は、右ハンドルであった。それは、チェンジレバーが車の右側に付いており、運転手はそれを右手で操作しなければならなかったからだ。
時が経つに連れ、右側通行の国では次第に左ハンドルの車を生産するようになっていくのだが、一部の高級車では右ハンドルを採用していたようである。アンジュは、戦後になってもそれを守り続けていたのである。高級車は右ハンドルでなければいけないという確固たる信念がオチキスにはあったのだろう。
兵器メーカーが始めた自動車製造。
ここでオチキスについて紹介しよう。オチキスはアメリカ人のベンジャミン・ホチキスがフランスで1867年に創業した会社である。もともとは自動車メーカーではなく、兵器メーカーであった。大砲や機関銃、戦車を製造していたのである。最初は1870年の普仏戦争(フランスとプロイセン王国との戦争)でフランス軍の兵器を作ったというのだから歴史は古い。
それが、20世紀を迎えると自動車製造を開始する。最初はエンジンの製造から始めたようだが、オチキス車第一号は、1903年に登場した17馬力4気筒の車であった。
オチキスとして自動車を次々と製造、販売したのは第一次世界大戦が終わってからで、1920年代なかばには自動車の新工場を建設し、ニューモデルを投入。オチキスは、高級車のブランドとして人々の認知を得るようになっていった。
アンジュをはじめオチキスの車には会社のロゴマークがエンブレムとして付けられている。それは、2本の大砲を交差させたデザインで、兵器製造会社としてのオチキスを表すものでもあった。
実際、自動車メーカーの中にはもともと兵器を製造していた会社がいくつか存在する。確かに内燃機関つまりエンジンの設計、製造は、火薬の爆発の圧力を利用する銃や大砲の設計、製造と共通する点がある。製品をいかに扱いやすい機構とするかというところも同じである。
保守的なスタイルに先進のシステム。
こうした背景を持つメーカーが第二次世界大戦後に製造、販売した車のひとつが、この車アンジュなのである。伝統的な構造で、保守的なスタイルを持った大型の高級車ではあるが、オプションとして電磁式のギアボックスも搭載可能であったという点に注目できる。これは現代のオートマチックの先駆けとも言えるギアチェンジシステムである。こうした先進の機械システムに関しては、やはりオチキスの兵器製造のノウハウが生きているのだ。
オチキス アンジュは、1950年の秋に発売され、その年に約1800台を製造、販売したようだ。大型高級車としては順調な売れ方だったのではないだろうか。ところが時代が悪かった。終戦直後ということもあって、人々には高級車を手に入れようという余裕はなかったのである。
また、当時フランス政府は、終戦後の自動車生産に関して、特に大型車に高い税金を課してもいた。こうした状況の中で、1954年までアンジュの生産は続けられたが、その翌年、オチキスは乗用車の生産を中止する。アンジュはオチキスとして量産した最後の高級車となったのである。
この頃、他のフランスの自動車メーカーであるシトロエンはDSを、プジョーは403を市場に送り出し、成功を収めていた。どちらも戦後型のデザインで、高級車と言うよりも庶民をターゲットにしたいわば大衆車でもあった。
兵器メーカーとしての自負が生んだオチキス アンジュ。
なぜ、オチキスはこうした時流に逆行し、保守的な大型高級車アンジュを投入したのだろうか。それは、長年フランスの兵器製造会社として開発、製造を続けてきたという自負があったからではないだろうか。
今でこそ、銃や大砲のメーカーだったというのは会社のイメージとしてはあまりよろしくないところがある。しかし、第二次世界大戦までは、祖国のために優れた兵器を製造して貢献したというのは誇れるところでもあったのだ。そんな誇りの思いを戦後の自動車製造にまで持ち込んでしまったというのが、やはりオチキスの敗因となったのだろう。
オチキス アンジュ。この車は、終戦直後という時代の中で、スタイルでも、その機構でも注目できる車であっただけに惜しいところではある。