この不思議な形の理由はどこに?
フィアットムルティプラと言えば、1998年デビューの個性的なデザインの車がある。それは、英国の新聞社の「史上最も醜い車100選」の堂々2位にランキングされた栄誉ある車でもある。しかしここでは、1956年に登場したフィアット600ムルティプラについて語ろう。
軽のワンボックスのようなムルティプラ。
これは一体何だ?どちらが前か後ろかわからない。初めてこの車を見た人はこんな感想を述べるだろう。フィアット600ムルティプラ、この車は大きさと形から言えば軽のワンボックスカーだ。
軽のワンボックスカーの始まりはスバルサンバーだが、登場したのは昭和36年(1961年)であるから、ムルティプラの方が5年も先である。もちろんイタリアには軽という規格はないので、単純に比べることはできないが・・・。
そもそも600ムルティプラは、この形になった経緯がワンボックスカーとは異なっている。軽のワンボックスは、軽トラックの荷台に屋根と壁を付け運転席と一体にしたらこうなったという形であり、荷物を運ぶ商用車のバリエーションの一つとして生まれている。ところがムルティプラの場合は、初めに乗用車ありきなのだ。
不思議な形はどうやって生まれた?
フィアットは戦前から2人乗りの小さな乗用車を生産し、人気を得ていた。フィアット500である。ネズミのようなイメージから、トポリーノと呼ばれていた。
小さく手頃な価格であることがポイントだったのだが、やはり2人乗りでは物足りないという声が高まるのも当然で、戦後の1955年にはRR(リアエンジン・リアドライブ)の4人乗り小型車、フィアット600が生まれる。
そのフィアット600の発展形としてムルティプラは登場した。まず、フィアット600の運転席を前輪の上まで持ってきて乗車スペースを広げる。後部はエンジンがあるためそのままだ。そして広がったスペースにもう一列シートを増やして6人乗りとする。ムルティプラの不思議な形はこうして出来上がった。
それは多目的車としての改良だった。
ムルティプラとは日本語で「多数」を意味する。多人数が乗れる、たくさんの荷物が入る、いろいろな使い方ができるといった意味で付けられた名前であろう。つまり多目的車ということである。
乗用車のフィアット600を事業用やレジャー用などさまざまな目的で使えるように乗車スペースを広げて改良したのが600ムルティプラというわけだ。なお、シートは折りたたむこともできるため、荷物室になる。使い方はいろいろ、マルチパーパスである。
また、面白いのは、タクシー専用タイプも登場させたという点である。運転席を独立させ、助手席は折りたたみ可能とし、後ろの客席には4人が乗車できるというものだった。この600ムルティプラのタクシーは、イタリアの各地で70年代まで活躍していた。狭い市街地をお客や荷物を載せて走り回れるこのタクシーは観光客にも喜ばれたに違いない。
イタリアの経済復興に貢献した車。
この車が登場した1956年とは、第二次大戦が終わって12年、イタリアは急速に復興し、人々も豊かになりつつあった時だ。50年代中盤から60年代中盤にかけてのイタリアの高度経済発展は「奇跡の経済」と呼ばれたが、この奇跡の経済成長の初期に生まれた小型車が、乗用だけでなく、多目的車として活用されたのである。
イタリアの高度経済発展の象徴的な車としては、チンクェチェントとも呼ばれるヌォーヴァ500が取り上げられることが多い。ヌォーヴァ500は600の成功をもとに作られた小さな乗用車だ。アニメの「ルパン三世」の愛車として出てくるあの黄色い車である。
このヌォーヴァ500も、フィアット600や600ムルティプラのヒット無くしては生まれなかった。それゆえに、600ムルティプラはイタリアの「奇跡の経済」に大きく貢献したクルマと言えるだろう。
さすがにイタリア車。センスの塊だ。
日本で普通の人が車を購入できるようになったのは60年代の半ば以降である。その10年も前にイタリアでは、乗用の小型車を生活のスタイルや場面に合わせてさまざまに使おうという発想があった。日本で今流行している軽のトールワゴンと同じ発想だ。この時代、やはりイタリアは、日本より一歩先を行っていた自動車先進国だったのである。
フィアット600ムルティプラは、今でもファンが多い。その可愛さ、コンパクトさが受けている。多目的に使うという理由で改良した小型車、それも60年も前の車が、デザインセンスが優れた車として今でも愛されているのである。
古い車のデザインが、単なる懐かしさだけでなく、センスのよさで喜ばれている。しかも、センスよくしようとしたのではなく、多目的に使おうと改良した車が、結局ナイスセンスになっているのだ。こうなってくるとさすがに「イタリア車なんだなぁ」という言葉しか出てこない。