スズキ ジムニー

進駐軍のジープに憧れた少年たちの心をつかんだ。

レジャーとしての四輪駆動車というコンセプトを打ち出したジムニーだが、四輪駆動で遊ぶということに関しては、日本ならではの事情も考慮しなければならない。

ジムニーが発売された1970年代初頭、車購入のメインターゲットは、終戦直後に子供だった世代。子供の頃に彼らが憧れたもののひとつに進駐軍のジープがあった。神社の階段を登ったとか、川を渡ったといった目撃談を聞いて、いつか自分も運転したいと思っていた世代でもある。

進駐軍のジープ
銀座4丁目の服部時計店の前に停車する米軍のジープ。昭和21年(1946年)の撮影である。当時の日本の少年たちはこんなジープに憧れた。
English: Nagano Shige’ichi日本語: 長野重一, Public domain, via Wikimedia Commons】
学校を訪問するジープ
昭和21年(1946年)のクリスマスに、英国軍のジープが広島県の宮島小学校を訪問。子どもたちにとっては進駐軍の兵隊さんやジープはとても身近な存在でもあった。
Australian War Memorial collection, No restrictions, via Wikimedia Commons】

そんな当時の少年たちも大人になり、自分の趣味で車を買える年代となった。当然ジープを手に入れたいところなのだが、予算の関係でそうもいかない。家族の反対もある。そこにジムニーが登場した。しかし四輪駆動といっても軽自動車である。馬力があるのか、ちゃんと走るのかと、元少年たちも最初は躊躇した。

ところがジムニーは、本物だった。とても走破できないと思える場所でも難なく乗り越えてしまう。大型の四輪駆動車がスタックしてしまう道でも、コンパクトなジムニーなら大丈夫だった。これは買うしか無い。あの丘のてっぺんまで山道を登ろうとか、幌を畳んでフルオープンで走ろうとか、ワクワクしながら購入したのである。

悪路でのジムニーの走り
ジムニーSJ10の悪路での走破性能がわかる動画である。バンパーに貼ってある4×4MAGAZINEのステッカーが本格派の証だ。

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ジムニーのヒットから生まれた、アウトドアレジャーの流行。