クリアするのは無理と言われた排ガス規制に挑んだ。
ホンダが完成させたシビックの新しさは、それだけではなかった。他の大手自動車メーカーにはできなかった、厳しい排ガス規制のクリアにも成功したのである。
1970年、排気ガスによる大気汚染が問題となっていたアメリカで、マスキー法と呼ばれた法律が成立した。これは、排気ガス中の一酸化炭素、炭化水素および窒素酸化物をそれまでの10分の1以下にしない車は販売できなくなるというものだった。当時、この法律に沿うことは不可能とされ、自動車業界は大いに反発していた。

1970年、マスキー法とも呼ばれる大気浄化法がアメリカで成立した。当時のアメリカ大統領であるリチャード・ニクソンが署名している。米国国立公文書館所蔵の写真。
【White House Photo Office, Public domain, via Wikimedia Commons】
日本のホンダは、この法律に独自の技術で挑んだ。ホンダが選んだ方法は、希薄燃焼だった。燃料が少ないつまり希薄な空気をエンジンで燃焼させれば、排出ガスの有害物質を減らせるという方法である。
しかし、単に希薄にするだけではエンストしやすくなってしまう。そこで、副燃焼室を設けて確実に着火させるという方法をとった。
CVCCエンジン搭載のシビック登場。
こうして開発したのがCVCCエンジンである。これは、触媒などを使って排ガスから有害物質を除くのではなく、エンジン本体の改良で有害物質そのものの排出を減らそうという技術であった。しかも、排ガス規制に適合させようとすると燃費も悪くなるものだったが、CVCCは燃費の面でもよい結果を出した。
この動画でCVCCがどのようなしくみで力を得ているかがわかる。動画の後半で語られるマスキー法をクリアした時の話も興味深い。
この技術により、ホンダはマスキー法をクリア。世界を驚かせた。そして、CVCCを搭載したシビックを昭和48年(1973年)12月に発売。昭和50年(1975年)までにシビックの全モデルをCVCC搭載とした。CMでも低公害のクリーンエンジンとして、シビックの優位性を謳い上げた。
また、こうしたクリーンなイメージに加え、燃費のよさでもシビックは指示を得た。昭和48年(1973年)の第一次オイルショックでガソリンの値段が高騰していたこともあり、まさに追い風であった。
四輪では実績の少ないホンダが作った車シビックは、こうして大きな信頼を得たのである。単に信頼を得ただけではない。ガソリンを食う大型車に乗っていた人がシビックに乗り換えるという現象も生じた。
しかも、アメリカの企業ができなかったことを、日本のメーカーが成し遂げたのだから、アメリカ人の日本車に対する見方を変えてしまったというオマケまでついたのである。
