トラバント

東西ドイツ統一の象徴的な車。

トラバントの製造が始まった頃は、この車も大衆車としては普通のスペックであり、ボディをFRPにして軽量化を図るということではかなり先進的とも言えた。四半世紀という時間は残酷である。そんな車を時代遅れにしてしまったのである。しかしトラバントは、ベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統一の象徴的車となった。歴史の転換点にあって、東西ドイツの庶民生活の差を物語る歴史の証言者、いや証言車ともなったのである。

そんなわけで、このトラバントにはファンが多い。現在のベルリンでも走っている姿を見かけることがある。もちろんそのままでは排ガス規制のため市街地を走ることはできない。歴史文化財として特別に許可を得て走らせているのだ。

観光資源として、歴史遺産として。

トラバントは、今やドイツの観光資源として大きな役割を担っている。ベルリンの「DDR博物館」には、トラバントの実車展示があり、旧国境検問所近くの「トラビワールド」という施設に行き予約すれば、誰でもトラバントを運転することができるのである。

トラビワールドの様子
トラビワールド
さまざまなカボディペイントを施したトラバントが揃っている。予約すれば運転することもできる。
Lotse, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

世の中に歴史的な価値のある車は多く存在する。だが、その価値の特異性という面でトラバントの右に出る車はいないだろう。もし、ベルリンの壁崩壊という歴史上の事件が起こらなかったら、その時東ドイツの民衆がこの車に乗って西側に入ってこなかったら、トラバントは単なる古い車で終わっていたはずである。