東ドイツの庶民が買える車は、これだけだった。
このような車であったが、統一前の東ドイツでは、一般庶民の購入できるマイカーは実質的にトラバントのみであった。しかし、当時は需要に見合った生産が行える体制ではなかったため、注文しても10年から12年待ちという状態が当たり前であった。東ドイツの人々にとってはこのトラバントでも入手できるだけでラッキーだったのである。
トラバントのCM集
「あなたの信頼できるパートナー」と訴えるCM。工場内の様子やレジャーに使えるオープンカーの映像なども入っていて興味深い。しかし、納車待ちの車を宣伝する必要などあったのだろうか。
「あなたの信頼できるパートナー」と訴えるCM。工場内の様子やレジャーに使えるオープンカーの映像なども入っていて興味深い。しかし、納車待ちの車を宣伝する必要などあったのだろうか。
ベルリンの壁が崩壊した1989年、東ドイツの人々は、トラバントに乗って国境を超えた。この車を見た西側の人々は驚愕した。60年代そのままの車が大挙して入ってきたのである。その頃の西側の車と言えば、オートマでカーステレオ、エアコン付きが当たり前、そろそろカーナビも付けようかという時代である。そこに骨董品のような車が入ってきたのだからまさにカルチャーショックであった。

ベルリンの壁崩壊後の国境検問所の様子
トラバントに乗った東ドイツの人々が次から次へとやってくるのがわかる。(1989年11月)
【Staff Sergeant F. Lee Cockran, Public domain, via Wikimedia Commons】
トラバントに乗った東ドイツの人々が次から次へとやってくるのがわかる。(1989年11月)
【Staff Sergeant F. Lee Cockran, Public domain, via Wikimedia Commons】
