アメリカ車のようなタウヌスが、まず登場。
ここで注目したいのは中型車の新たなタウヌスだ。1957年、P2とも呼ばれたタウヌス17Mがデビューする。タウヌスP2は、テールフィンが付いたツートンカラーの車であった。アメリカ本国の1955年型フォードに似たデザインで、いかにもアメリカという派手なイメージの車である。

タウヌス中型車として登場した17M。いかにもアメリカ車というイメージの車だ。

ツートンカラーで、テールフィンが付いている。
ドイツに合ったクルマづくりを行うはずのドイツ・フォードが、なぜここでアメリカ車のような派手で贅沢な車を出したのか。いくつかの理由を推察することができる。
戦後10年以上経過し、ドイツ(西ドイツ)は急速に経済が回復。1950年代の終わりにはGNP世界第二位の国となっていた。こうした奇跡の経済回復の中で人々にも贅沢な車を購入する余裕が出てきていた。
当時、大きく贅沢な車と言えばやはりアメリカ車であった。戦後初の中型車を出すにあたってドイツ・フォードは、こんなアメリカ車らしさ、いわばフォードらしさを出した車で勝負をかけたかったのかもしれない。
また、この当時のドイツ・フォードの対抗馬だった自動車メーカーであるオペルも、やはりアメリカ車の影響を受けた車を出していた。この頃オペルが出していた中型車はレコルトだ。
ツートンカラーの車体に、前後の窓が側面にまで回り込むラップアラウンドウィンドウなど、アメリカ車の流行を取り入れた車であった。しかもオペルはアメリカのGM(ゼネラルモーターズ)傘下のメーカーでもあった。フォードとしては負けるわけにはいかない。

しかし、ドイツ・フォードのタウヌスP2には「バロック・タウヌス」という愛称が付いた。バロック、つまり古いといったイメージが感じられる愛称である。アメリカ車らしさを追求したが、ドイツの人々にはあまりよい印象を与えなかったようだ。
