世界の三輪自動車、そして日本のオート三輪。
これまで世界の多くの国で三輪自動車が生産されてきた。19世紀に製造された世界初の自動車のひとつと言われるベンツ・パテント・モトールヴァーゲンも三輪車である。また、タイのトゥクトゥクとかインドのオート・リクシャなど、今も現役で活躍している三輪自動車も多く存在する。

世界初の自動車は三輪車だ。上の写真はベンツの妻が自動車を広めようと長距離ドライブを行った際に使用したモートルヴァーゲン3号車。
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バンコクで見られた三輪タクシーのトゥクトゥク。かつては日本から輸出されたミゼットなどを使っていたようだ。
【Fotograf / Photographer: Heinrich Damm (User:Hdamm, Hdamm at de.wikipedia.org), CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】
ゆえに、三輪自動車とは世界的に見ればそう珍しい車でもない。しかし、日本のオート三輪は昭和20〜30年代を通して独自の発展を遂げ、他では見られないバリエーションを持つようになった特異な車でもある。
戦後の昭和に大きな発展を遂げたオート三輪だが、そのルーツは戦前の大正時代にまでさかのぼる。大正の初期に大阪で使われていた前が2輪、後が1輪の三輪車が始まりと言われている。しかし、その形では安定しないため次第に前1輪、後2輪になっていったようだ。
そもそもオート三輪とは。
オート三輪という車は自然発生的な車でもある。自動二輪つまりオートバイがあり、オートバイでたくさんの荷物を運ぶためにリヤカー(後ろの車)をつける。
オートバイとリヤカーを一緒にして荷物運び専用の車にしようということでバイクの座席の後ろに大きな荷台をくっつけた三輪車が生まれる。オートバイの三輪車ということで、オート三輪というわけである。
最初の頃のオート三輪はまさにこの形であり、前がバイクで後ろがリヤカーの三輪車であった。戦前は、こうしたオート三輪が多くのメーカーで作られ、販売されていた。商売のための貨物車として活用されていたのである。
T2000を製造したマツダも昭和6年(1931年)からオート三輪の製造を始めている。この時マツダが出したマツダ号DA型はヒットし、翌年には国内のオート三輪の25%のシェアを占めるようになり、海外輸出も果たしている。

昭和6年にマツダが最初に作ったオート三輪。まさにバイクの後ろにリヤカーを付けた三輪トラックである。三菱のマークが見えるが、当時、三菱商事と販売契約を結んでいたためである。
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