スバル 1000

日本の大衆車の一翼を担うスバル1000。

こうした「スバリスト」たちによって、スバル1000は、昭和44年(1969年)3月には月に4000台を超える販売台数を達成。カローラやサニーに続く小型大衆車として、日本のモータリゼーションの一翼を担うことになる。

また、スバル1000のFFの成功がきっかけで、1970年代に日本の小型車のFF化が進んだとも言われている。

スバル 1000動画
小気味良いエンジン音を響かせながら走るスバル1000の動画だ。エンジンまわりの詳しい解説で水平対向エンジンのメリットも理解できる。

現在の富士重工業は車名をそのものズバリの株式会社スバルと変え、先進的な車を出している。しかも、充実した安全装備が売りである。FFと同じく、現在スバルが推進している車の安全化もこれからさらに日本車の標準的な技術として発展してゆくことになるだろう。

もちろん「スバリスト」もまだ健在である。戦中に少年だった人たちの世代は少なくなってはいるが、スバルの先進技術は新たな世代の「スバリスト」を生み出している。