スバル 1000

知る人ぞ知る車だった。

昭和41年(1966年)とは、日本のモータリゼーションの歴史の中では特別な年だ。ダットサンサニーが登場し、その後トヨタカローラが登場。一般庶民が気軽に自家用車を購入し、ドライブを楽しむようになったきっかけの年、いわゆるマイカー元年である。

その年に登場したスバルの小型車というわけだが、販売網が充実しマスコミ広告を連発できるトヨタや日産とは対抗できるわけもなく、それほど大きな話題にはならなかった。

しかし、この車スバル 1000は、知る人ぞ知る車であった。当時としては新機軸の機構を搭載していたのである。

まずエンジンが普通ではなかった。それは、エンジンのシリンダーが上下ではなく左右に動く水平対向エンジンである。コンパクトで重心が低く、航空機やレースカーなどでよく使用されていたエンジンでもあった。コンパクトでも大きな力を出すことができたのである。

ビートルの水平対向エンジン
水平対抗エンジン
フォルクスワーゲン ビートルに搭載されていた空冷式4気筒水平対向エンジンのカットモデル。シリンダーが左右に付いている。
bukk, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
グライダーに積まれたスバルの水平対向エンジン
スバルの水平対向エンジン
スバルプレンという名のモーターグライダーに搭載された水平対向エンジン。これはスバルのEA52型エンジンで、スバル1000のエンジンを流用したものである。
photo: Qurren (talk) Taken with Canon IXY 430F (Digital IXUS 245 HS), CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

FFの量産化を実現した。

スバル1000は、このエンジンをボンネットに搭載し、前輪駆動とした。つまり、フロントエンジン、フロントドライブのFF車としたのである。

FFは現在では普通の機構であり、乗用車の多くがFF車である。しかし、当時はまだ日本の自動車メーカーは、量産車に搭載できるほどの安定したFFの機構を実現できてはいなかった。しかし、スバル1000ではその課題に敢えて挑戦した。

この車の開発の前にヒットしたスバル360は、RR車つまりリアエンジンの後輪駆動であった。富士重工業はエンジンの近くにある車を回す方が効率がよく、故障も少ない、そんな考えを一貫して持っていたのかもしれない。

スバル 1000カタログの動画
昭和43年(1968年)版のカタログを紹介する動画である。「アイデアに富むざん新なメカニズム」とスバルの技術の高さを語り。FFによって広くなった室内空間を見せている。

いずれにしてもFF車とするために水平対向エンジンを採用し、当時の最新のジョイント機構を導入。さらにはブレーキやサスペンションにも工夫を施すことによって、他の有力メーカーが当時なし得なかったFF車を実現してしまうのである。

これによってスバル1000は、室内を広くとることができ、1000ccの小型車ながら1500ccの中型車クラス並みの室内空間を確保することができた。また、同時に静かさや振動の少なさ、さらには運転のしやすさや乗り心地の良さなども実現することとなったのである。

スバル 1000のCM
「日本人の設計によるジェット機、特急車両」というアナウンスから始まり、スバル1000が高度な技術から生まれたと訴えている。高度経済成長の時代ならではの語り口が興味深い。
なお、この動画には昭和44年(1969年)発売のホンダ1300のCMも入っている。

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スバルのルーツは戦前の航空機メーカー。