トヨタ パブリカ

ほんの少し登場するのが早かった。

マイカー元年とも呼ばれているのは、昭和41年(1966年)だ。それは、トヨタカローラとダットサンサニーが登場した年でもある。マイカー元年であるから、大衆向けの乗用車が人々に受け入れられるようになったのがその頃で、パブリカが登場したのはそれより5年前だ。

マイカー元年である昭和41年(1966年)のサラリーマンの平均月収は7万5千円。なんと、パブリカが登場した5年前の倍近い金額だ。さすがに高度成長真っ只中の日本である。しかも、昭和39年(1964年)の東京オリンピックを境に全国の道路の舗装率は進み、高速道路や自動車専用道路も多く開通した。

やはりパブリカは、少し早かったのだ。車が一般大衆向けのヒット商品となる時代が目の前に見えてはいたのだが・・・。

昭和39年の鬼押出し園駐車場の様子
昭和39年(1964年)の鬼押出し園駐車場
鬼押出し園とは、群馬県にあり、浅間山の溶岩を観察できる観光施設だ。昭和39年(1964年)にもなると休日にはマイカーで訪れる人が多かったようだ。さまざまな車を見ることができるが、前列の真ん中あたりにパブリカが駐車しているのがわかる。やはり、この頃にはパブリカは人気車種になってきていたのだろう。
Alden Jewell, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】