トヨタ パブリカ

なぜ売れない?その理由は。

大きな落とし穴とは何か。それは、商品であるパブリカがあまりにも安っぽかったという点である。その走行性能は優れていたものの、装備が貧弱だったのだ。これは価格を軽自動車並みに下げるために必要だったわけだが、ラジオも暖房も無く、燃料計もサイドミラーも無いというあり様だった。車の外装にも装飾的なものは付いておらず、ただ走る鉄の箱という状態だったのである。

この当時、車の購入とは、一般大衆にとって一大決心の買い物だった。サラリーマンの平均月収が4万円ほどの時代。パブリカの値段は給料約10ヶ月分。そんな大枚を叩いて買う車が、人に自慢もできないような貧弱な車ということは我慢ならないのである。

逆にパブリカに対抗していた軽自動車は、この時期、より豪華な車を次々と投入していた。そのため、人々は軽自動車の方へ流れていったのである。そこでパブリカにも暖房やラジオはもちろんリクライニングシートやクロームメッキのバンパーが付いたデラックス版が追加された。また、オープンカーとなるコンバーチブルタイプまで登場する。こうした努力によって、パブリカの販売はようやく軌道に乗ることになるのである。

パブリカコンバーチブル
パブリカコンバーチブル
幌を取ればオープンカーに。こんな贅沢なパブリカまで登場した。バックスタイルもアメ車のようなテールフィンがカッコいいのである。
トヨグライドモデルのCM
トヨグライドとは今のオートマのことである。誰でも簡単に運転できる機能が付いたパブリカデラックスタイプの宣伝である。

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ほんの少し登場するのが早かった。