国民車構想を軽ではなく小型車で。
国民車構想というとよく引き合いに出されるのが昭和33年(1958年)発売の通称テントウムシ、スバル360である。スバル360は、日本のモータリゼーションの嚆矢とされる量産型軽自動車であるが、パブリカは、このスバル360の開発より前に企画・開発が始まっている。
この当時、国民車構想に合わせた車の開発と言えば、スバル360に見られるように軽自動車の規格内で実現させるというのが多かった。しかし、トヨタは軽自動車ではなく、普通車の小型車で実現させることを狙っていた。
当時、小型車の開発でリードしていたのはやはりヨーロッパだ。トヨタは最初、フランスのシトロエン2CVのような空冷エンジンによるFF、つまり前輪駆動車を目指していた。
しかし、当時の日本の技術では前輪駆動は難しく、前に置いたエンジンで後輪を回すFR方式とした。また、当初エンジンは排気量500ccを予定していたが、高速道路時代を見越して馬力の出せる700ccへと変更。あくまでも普通の自動車を開発し、提供しようというのがトヨタの開発陣のコンセプトだったのだ。

2ドアでコンパクト。大きなフロントグリルがデザインポイントだ。

そしてトヨタパブリカは、スバル360に遅れること3年でようやく販売されることになる。当時のパブリカのセダンの価格は38.9万円。国民車構想に沿って作られ、ヒットしたスバル360も発売時の価格は42.5万円であった。それと比べれば、普通車ながらパブリカは安かったのである。
マーケティング戦略を駆使して。
トヨタは新発売に際し、車名募集キャンペーンをはじめ、他の業態のメーカーとのタイアップ広告、テレビコマーシャルなどを積極的に投入。さらに、新たな販売会社の設立、ローン販売のシステム構築なども行った。こうした販売促進策は、アメリカから輸入したマーケティング戦略に沿ったものでもあった。大衆に車を届けるという新たな試みには、先進国アメリカに倣った最新の戦略が必要だと考えたのである。
こうしてパブリカは、安い価格で一般の人々に向け大々的に売り出された。しかし、お金をかけたキャンペーンは人々の注目を集めても、実際の販売の方はあまり振るわなかった。新型大衆車パブリカには大きな落とし穴があったのである。
発売から2年後の昭和38年(1963年)、デラックス仕様が登場した頃のテレビCMである。たくさん積める、狭い道やでこぼこ道でも大丈夫、自動車専用道路ではスピードを出して走る、女性でも運転ができる等々。メリットをこれでもかと詰め込んだストーリー展開が時代を感じさせる。主演は俳優の大坂志郎である。