日産 セドリック

純国産の中型乗用車、セドリック。

そこで日産は、純国産の中型乗用車として当時の日産の技術を注ぎ込み、最新の車を開発。昭和35年(1960年)4月、それまでライセンス生産していた日産 オースチンA50ケンブリッジの後継車として、日産 セドリックを世に送り出すのである。

トヨタ クラウンに続けとばかり、その名もセドリックである。トヨタがクラウン(王冠)なら、日産はセドリック(貴公子)だというわけだ。若々しさを訴求したネーミングでもある。セドリックはそれ以降、平成16年(2004年)までなんと40年以上も販売され続け、日産の主力車種となるのである。

セドリックが発売される前年の昭和34年(1959年)、日産は戦後初の量産型乗用車であるブルーバードを登場させている。ブルーバードも、国産乗用車として話題となったが、そのスタイルは少し古臭いものであった。

初代ブルーバード
初代ブルーバード
昭和35年(1960年)製のものだが、まだ1950年代のイメージを残している。
I, 天然ガス, CC BY-SA 2.5, via Wikimedia Commons】

無難なスタイルのブルーバードとは違い、セドリックの“タテ目”、縦型ヘッドライトは、街で目立ったに違いない。街を行く人が走るセドリックを見て、「おっ、セドリックだ!」と話題となることを狙ったのだろう。自分も乗ってみたい、家の車にしたいと人々は感じたかもしれない。最もこの当時の庶民は、まだまだ自家用車を購入できるほど豊かではないのだが・・・。

日産としては、まずは自分たちの技術を信頼してもらおう、市場に受け入れてもらおうというところがあったのだろう。それでブルーバードは無難なデザインとしたのかもしれない。しかし、セドリックはその反動もあって新しいスタイルを追求している。

初代セドリック
セドリックの実車
セドリックが生まれたのも昭和35年(1960年)だが、ブルーバードと比べると直線的でスマートである。
Mytho88, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

しかし、縦型ヘッドライトは、目立つ反面これを嫌う人もいるわけで、後には横型の一般的なライトに形状変更されてしまう。でも、縦型ヘッドライトは昭和42年(1967年)発売の3代目日産グロリアで採用され、人気を呼び、“タテグロ”という愛称さえ付けられた。セドリックの縦型ヘッドライトは、時代的に少し早かったのかもしれない。

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「追いつけ、追い越せ」の波の中で。