アメリカなどへの輸出仕様がメインだった。
さて、上に掲載したMGBの運転席をよく見ると左ハンドルである。イギリスは日本と同じ左側通行なので、車は右ハンドルのはずなのだが・・・。実はこのMGBは、右側通行の国へ輸出した車なのである。輸出先は主にアメリカであった。
第二次世界大戦では、イギリスは連合国側としてアメリカとともに戦い勝利する。戦後もアメリカ軍はイギリスに駐留していたのだが、そんな駐留軍の兵士が、小型で運転しやすく性能に優れたイギリスの車に目をつけた。「アメリカのデカいだけの車と違ってコイツはクールだぜ!」と言ったかどうかは知らないが、MGをはじめとするイギリス車が気に入ってしまったのだ。
戦争で疲弊した戦後すぐのイギリスの人々には車、それもオープンカーやスポーツカーのような車を買う余裕はなかった。暮らしを立てるだけで精一杯だったのである。しかし、アメリカは違っていた。街は戦災を受けなかったし、経済的に豊かで、精神的余裕もあった。そこにアメリカ人のイギリス車ブームがおこったのであるから、イギリスの自動車メーカーとしては、活路をアメリカに見出すしかなかったのである。
MGBの動画
1973年式のMGBの走りを見ることができる。この動画の作者はオランダの人だが、ヨーロッパの美しい景色の中を走るMGBは本当に美しい。なお、車は左ハンドルである。
1973年式のMGBの走りを見ることができる。この動画の作者はオランダの人だが、ヨーロッパの美しい景色の中を走るMGBは本当に美しい。なお、車は左ハンドルである。
MGでは、戦後すぐのモデルとして投入した車には、最初から左ハンドル仕様の製造を見越した設計を行い、輸出に力を入れた。MGBの前のMGAは、戦後10年目にあたる1955年に登場したが、やはり製造した車の約半数を北米に輸出している。
そしてMGBもアメリカへの輸出を前提とした車であった。1962年の量産第1号車も左ハンドル車であった。MGBは生産終了まで52万台も製造されたが、そのうちの3分の2が北米へと輸出されている。

MGBのカットモデル
イギリスのヘリテイジ・モーター・センターという自動車博物館の展示である。使っている車両は左ハンドルだ。当時のMGBが宣伝のために作ったのか、博物館が独自に作ったのかは不明だが、やはり左ハンドル車が多かったのだろう。
【Morio, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
イギリスのヘリテイジ・モーター・センターという自動車博物館の展示である。使っている車両は左ハンドルだ。当時のMGBが宣伝のために作ったのか、博物館が独自に作ったのかは不明だが、やはり左ハンドル車が多かったのだろう。
【Morio, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】