「もっと快適な車を」という願いから生まれた。
ランボルギーニ350GTの発売当初はいろいろな悪口も当然あったことだろう。トラクター屋の社長の道楽ではじめた趣味が高じて、ついには自作のスーパーカーを製造、販売することになったのだから。しかし、この車は、単なる趣味の域を超えていた。
350GTは、戦後、トラックにはじまり、トラクター、ボイラー、エアコンと、一貫して“ものづくり”の道を歩んできたフェルッチオの「もっと快適な車を」という願いから生まれた車なのである。彼は、顧客のために、扱いやすく快適な乗り物を作り出すアイデアと技術を身につけていたのだ。

2020年のロンドン郊外ハンプトンコート宮殿で開催されたコンクール・オブ・エレガンスに出展された一台。やはりこの車は、スーパーカーと言うより、スポーツカーに近い感覚だ。それだけドライブの快適さを追求した車なのだろう。
【MrWalkr, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
この車には、車名にGTが付けられている。GTとは、レースにも参加するような高性能なロードカーといった意味で使われることが多い。だが、GTはグランツーリスモの略である。グランツーリスモとは日本語に訳せば「大旅行」だ。本来の意味は、長距離の旅行に適した性能や快適さを持つ車ということになる。
高性能で耐久性があることはもちろん、心地よい車内空間を持ち、長距離ドライブでもストレスが無い、そんな車がGTつまりグランツーリスモなのである。それを考えると、ランボルギーニ350GTは、本物のGTスーパーカーであるということになる。

運転しやすそうである。長距離ドライブも行けそうだ。でも、皮を使ったインテリアと細身のハンドルがイタリアのスーパーカーであることを主張している。
【Prova MO, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
スーパーカーメーカーとしての第1歩だった。
結局350GTは、1964年から1966年まで販売された。販売台数は諸説あるが130〜140台と言われている。初めて製造したスーパーカーとしては結構ヒットしたと言えるのではないだろうか。事実ランボルギーニは、この車の成功により、スーパーカーのメーカーとして認識され、あのフェラーリに対抗する地位を確立した。そんな意味で記念碑的車とも言える。
この車の生産が終わった1966年にはランボルギーニミウラが生まれ、さらにその8年後の1974年にはあのカウンタックが生まれている。
そして日本においてではあるが、1970年代の半ばから子どもたちの間でスーパーカーブームが巻き起こり、ランボルギーニはスーパーカーの代名詞ともなる。ランボルギーニが元はトラクターメーカーだったということは、子どもたちは知る由もなかったが。
高原の道を快走する350GTの動画である。こうした道を気持ちよく走ることができるのがGT―グランツーリスモたる所以なのである。この動画、走行中の運転席やインテリアの紹介など盛りだくさんの内容だ。
