道路事情とグロリアとの関係。
なぜこの時期にグロリアのようなフラットデッキ車が売り出され、話題となったのだろうか。もちろん世界的な流行もあり、スマートでかっこいいという見た目の良さもあるだろう。しかし、この当時の日本の道路事情の変化が背景にあることを忘れてはならない。
戦争が終わり平和な時代となって自動車の台数が急激に増えても、日本の道路はしばらくのあいだ戦前のまま、いや江戸時代の街道のままであった。未舗装で幅が狭く、車のすれ違いもままならない。雨でも降ろうものなら車は泥を跳ね飛ばすし、坂道ではスタックして動かなくなるという有り様だった。
だが、1960年代にそのひどい道路事情が変化していった。道路の舗装率が一気に高まり、各地で自動車専用道路や高速道路などの建設が進んだのである。

開通したばかりの首都高速
昭和39年の東京の絵葉書の1枚である。開通したばかりの首都高速と地下鉄が取り上げられている。首都高速を走る車の数も今と比べれば圧倒的に少ないが、モータリゼーションの到来を大いに感じさせる。
【1960’s Tokyo Postcard by Larry Syverson on Flickr】
昭和39年の東京の絵葉書の1枚である。開通したばかりの首都高速と地下鉄が取り上げられている。首都高速を走る車の数も今と比べれば圧倒的に少ないが、モータリゼーションの到来を大いに感じさせる。
【1960’s Tokyo Postcard by Larry Syverson on Flickr】
契機となったのは、昭和39年(1964年)開催の東京オリンピックであった。世界の人々に道路事情の悪い日本を見せられないということで、突貫工事で道路の整備を行ったのである。事実、2代目グロリアが売り出された昭和37年(1962年)には、東京で首都高速の最初の路線が開通している。
舗装された真っ直ぐな道をスピードを出して走るには、やはり背が低く、幅が広いフラットデッキスタイルが最適である。そんな道が日本全国に広がる・・・プリンスを始めとする日本のメーカーはそれを見越して車の開発を進めたのだ。
そしてプリンスグロリアは、そんな時代を象徴するような車ともなったのである。
グロリアのカタログ動画
グロリアスーパー6の当時のカタログを撮影した動画である。上位グレードのスーパー6らしく、最初のページは、ハンドルをそっと握る白い手袋の女性の手の写真だ。泣ける演出である。そして、「高速時代の先頭に立つフラット・デッキタイプ」と語る。これからの日本の高級車はグロリアだとばかりに謳い上げるのである。
グロリアスーパー6の当時のカタログを撮影した動画である。上位グレードのスーパー6らしく、最初のページは、ハンドルをそっと握る白い手袋の女性の手の写真だ。泣ける演出である。そして、「高速時代の先頭に立つフラット・デッキタイプ」と語る。これからの日本の高級車はグロリアだとばかりに謳い上げるのである。
