マツダ ファミリア

カローラのライバルはファミリアだった?

トヨタでカローラを開発していた技術者が、「カローラのライバルとなるのはサニーではなくファミリアだ」と考えていたという話が伝わっている。ファミリアは一般庶民向けとしてそこまで完成していた車だったのである。

したがって、売り込みを掛ければマイカーとして大ヒットしたとは思うのだが、マツダはファミリアに対しカローラやサニーほど大々的な宣伝や販売促進を行ってはいない。

実は、当時のマツダは社運をかけたロータリーエンジンの開発を初めており、ファミリアの販売の方には力を入れられなかったという大きな事情があったようだ。

トヨタ カローラ
トヨタカローラ
日本のマイカー時代の牽引役を努めた車。日産のサニーと販売合戦を繰り広げた。ファミリアは、最初はこのカローラのライバルと目されていた。
TTTNIS, CC0, via Wikimedia Commons】
ロータリーエンジン カットモデル
ロータリーエンジン
昭和30年代からマツダが開発を進め、実用化に成功。コスモスポーツ、ファミリア、サバンナなどに搭載した。上は、ドイツの博物館にあるカットモデルである。
Softeis at German Wikipedia, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

やはり当時のマツダ―東洋工業は、根っからの機械屋、技術屋だったのである。時代のニーズにあった車をヒットさせるよりも、まずは自らの技術力を発揮できる新時代の車を作ろうという方に目が向いていたのである。これはもう技術屋のサガと言うしかない。

しかしこんなファミリアも、17年後の昭和55年(1980年)登場の5代目で社会現象と言えるほど爆発的にヒットする。初代ファミリアは、やっぱりマツダが最初に考えた通り時期尚早だったのだ。

マツダファミリア4ドアセダンのカタログ
昭和41年版のカタログを撮影した動画である。「お考え以上に豪華で本格的な・・・」というコピーから始まる。当時は4ドアというだけで豪華な車であったのだ。マツダ独自の白いエンジンも紹介されている。