日本のスポーツカー、フェアレディ。
1960年代の日本は高度成長の時代と言われるが、その高度成長の波に乗り、モータースポーツも大いに花開いた時代だった。それは庶民が自動車という新たな製品に興味を持つきっかけともなった。そして、日本グランプリという檜舞台で成績を残した日本のスポーツカーがフェアレディだったのだ。
日本グランプリ優勝という結果を受け、二代目フェアレディは、1600ccそして2000ccとエンジンの排気量をアップさせ、トランスミッションやブレーキシステムを変更するなどモデルチェンジを行い、スポーツカーとしての性能をさらに向上させていった。実際にこの後、昭和44年(1969年)まで日本グランプリを始め国内外のレースに参戦し、好成績を収めている。

秋景色とフェアレディ1600
大型のバンパーが付けられた精悍な一台。日本ではなく、海外で撮られたものではあるが、やはりフェアレディは、落ち葉が散り敷かれた秋景色に映える日本のスポーツカーである。
【Andrew90, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
大型のバンパーが付けられた精悍な一台。日本ではなく、海外で撮られたものではあるが、やはりフェアレディは、落ち葉が散り敷かれた秋景色に映える日本のスポーツカーである。
【Andrew90, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
「マイ・フェア・レディ」に登場する主人公花売り娘のイライザは、レディとなり社交界にもデビューするわけだが、日産のフェアレディも、この後研鑽を重ね、日本を代表するスポーツカーであるフェアレディZへと成長していく。
やはり、この車にフェアレディと名付けた当時の日産の社長の決意には、拍手を送らねばならないだろう。
フェアレディ走行動画
フェアレディ1600と2000が並んで山道を走る動画である。これも海外のものだが、日本の道路ではなかなかこういう映像を撮ることは難しいだろう。走行の様子に加え、車のエンジンや機構・デザインの紹介、レストア時の苦労話なども含まれている。
フェアレディ1600と2000が並んで山道を走る動画である。これも海外のものだが、日本の道路ではなかなかこういう映像を撮ることは難しいだろう。走行の様子に加え、車のエンジンや機構・デザインの紹介、レストア時の苦労話なども含まれている。
