フェアレディの車としての完成度は?
ブロードウェイでヒットを続けていたミュージカルから名付けられたダットサン フェアレディだが、ここで車としての完成度にも目を向けてみよう。実際にオープンスタイルの小型スポーツカーで世界的に有名なのはイギリス車で、MGやトライアンフ、オースチン・ヒーレーなどがある。では、それらと比べると和製スポーツカーであるフェアレディはどうだったのだろうか。
確かに、日産は戦後になってようやくスポーツカーの開発、製造を本格的に始めており、初代のフェアレデーは、戦前から開発、製造を続けてきたイギリス車には及ばなかった。しかし、二代目のフェアレディは、イギリス車と肩を並べるか、それ以上の性能を発揮したのである。
昭和38年(1963年)5月、鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリでスポーツカーB-Ⅱクラスでフェアレディ1500が優勝を果たす。B-Ⅱクラスは1301〜2500ccクラスのスポーツカー19台で競われたレースで、イギリス車であるトライアンフやMGを抜いての優勝だった。

日本グランプリで優勝したフェアレディ
昭和38年(1963年)の第1回日本グランプリのB-Ⅱクラスで優勝したフェアレディ1500である。1962年製のフェアレディだが、今でも保存されている。
【MIKI Yoshihito from Sapporo City,Hokkaido., JAPAN, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】
昭和38年(1963年)の第1回日本グランプリのB-Ⅱクラスで優勝したフェアレディ1500である。1962年製のフェアレディだが、今でも保存されている。
【MIKI Yoshihito from Sapporo City,Hokkaido., JAPAN, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】
第1回日本グランプリでの優勝、これは、フェアレディが和製スポーツカーとして認知される上で大きな役割を果たしたといえるだろう。いや、それ以前に、日本グランプリの開催自体が日本の車文化にとってエポックメーキングな出来事でもあった。
