トヨペット クラウン

高度成長期ならではの、夢の車。

これは、昭和30年代半ばから40年代半ばまで、つまり1960年代から70年代はじめまでの日本の経済状況抜きには成立しなかったコンセプトではないだろうか。当時の日本は高度成長期。戦後は終わり、給料は倍増する勢いで好景気が続いていた。若者も学校を卒業し大きな会社に入れば年功序列で出世できた。仕事をうまくこなしていれば、係長、課長、部長、重役と地位が上がっていったのである。

ということは、誰でも「いつかはクラウン」という夢を持てたのである。まさにアメリカンドリームならぬジャパニーズドリームが持てた時代であるからこそ成立したのであり、クラウンは夢の車でもあった。

1960年代の東京の風景
当時のニュース映像を編集した動画である。街を走るクラウンが多数登場する。クラウン以外にも懐かしい車が出てくるが、やはりこの頃の街はクラウンが多い。

しかしよく考えてみると、「いつかはクラウン」がCMで流れたのは昭和58年(1983年)。80年代のはじめである。当時の状況はどうだったのだろう。

70年代半ばのオイルショックにより右肩上がりを続けてきた日本経済も低成長時代を迎える。80年代に入ると自動車や家電などの輸出で経済は潤ったものの円高不況となり苦しんだ時代だ。こんな時代に「いつかはクラウン」である。

少しズレているように見えるが、不況を乗り超えもう一花咲かそうというトヨタ自動車の思いが感じられる。皆を励ましているようである。事実この少しあと80年代半ばからは日本はバブル景気に突入する。いつかはクラウンをすぐに実現できそうな状況になってゆくのである。バブルではあるが・・・。

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やはりクラウンは日本の高級車だ。