クラウンと言えば、やはりあのフレーズ。
クラウンと言うと「いつかはクラウン」というキャッチフレーズを思い出す。このキャッチフレーズが使われたのは、7代目のクラウンだ。7代目と言うと、昭和58年(1983年)発売である。デビューから30年近くも経っているが、まさにこの言葉は、人々の持つクラウンのイメージを的確に表現する名コピーとなった。
初代クラウンは、基本的に日本の道に合わせて作られた国産乗用車というのが“売り”であった。しかし、クラウン以外の様々な国産車が発売されるようになってくると、つまり国産があたりまえになってくると、新たな“売り”が必要になってくる。
そこで、クラウンが選んだのは、高級車というコンセプトであった。クラウン(王冠)という名前からして、既に高級イメージではあったが、クラウンは単なるお金持ちのための高級車ではなく、ある程度地位のある人が乗る高級車というコンセプトだ。
このページの最初に掲載したクラウンは、昭和37年(1962年)デビューの2代目クラウンである。この2代目クラウンから、車に王冠のエンブレムが付けられるようになる。また、「いつかはクラウン」のイメージが読み取れるCMが流されるようになるのもこの2代目からである。

初代に比べてだいぶスマートになっている。また幅も広く、車内空間にゆとりがある。

フロントグリルの中央に王冠のエンブレムが初めて付けられた。
2代目クラウンのCMの一つを紹介しよう。そのCMは、外国からのお客様を父と娘がクラウンで羽田空港まで迎えにゆくというシチュエーションだ。娘はクラウンを運転しながら「父の自慢のクラウンで」と語る。とてもこの頃の一般家庭の情景ではない。大きな会社で地位のある父親の自慢のクラウンなのである。父親役は山村聡だ。山村聡といえば会社の重役や政府の高官などの役柄が多い俳優である。そして、CMは最後に「誇りを持って乗れる車です。」と締める。
このCMからは、会社の重役や社長など社会的に地位を持った人が乗れる車、それがクラウンというコンセプトが読み取れる。こうしたコンセプトづくりを重ねた結果、20年後の7代目のクラウンで「いつかはクラウン」のキャッチフレーズが生まれた。
この言葉には、あなたもいつかはこの車に乗れるようになるとの訴えがある。この車を手に入れた人は、「ああ、俺もクラウンに乗れるようになったんだ」と感慨深く語るのである。
最初に登場するのが本文で述べた2代目クラウンのCMである。このあと山村聡は6代目までずっと登場。また5代目では、吉永小百合も出てくる。
なお、7代目クラウンの「いつかはクラウン」もこの動画には収録されている。
2代目クラウンの性能や運転のしやすさを紹介したり、有名人が登場してクラウンを語ったりなど、バリエーション豊かなCMが作られていた。
後に総理大臣にもなった大平正芳氏も登場。いつかは総理大臣も夢ではない!
