三菱 コルト800

コルト800は、速さを強調した大衆車。

そこで昭和40年(1965年)に登場したのが、このコルト 800である。この車は、最初から大衆車、ファミリーカーとしての位置づけで開発された。そして最大の“売り”は、車のスタイル。誰が見てもすぐわかる“流麗なファストバックスタイル”であった。

さらに、エンジンは843ccの2サイクルエンジンを積んでいた。2サイクルエンジンと言うと軽自動車に搭載される非力なエンジンというイメージだが、実はコンパクトながら少ない排気量で馬力が出せるエンジンでもある。やはり、三菱重工は、その空力的なスタイルとともにコルト800の速さを強調したかったのだろう。

しかし、2サイクルエンジンは朝の寒い時期などにスタートさせると白い煙を吹き上げる。そこが嫌われたのか、発売翌年には1000cc4サイクルエンジンを積んだコルト1000Fにマイナーチェンジされる。さらにバックドアのついた3ドア車も投入するがあまり話題にはならなかったようだ。そして、発売から6年後の昭和46年(1971年)には販売が終了するのである。

コルト1000Fのカタログ動画
昭和42年(1967年)に発行されたカタログ。基本的にファミリーカーであることを訴求しているが、カタログの最初から「スピードという機能追求から生まれた流麗なファストバックスタイル」と語られている。やはりファストバックが最大のウリなのである。

モータリゼーションの波に乗り切れなかった。

このコルト 800が発売された翌年である昭和41年(1966年)は、日本のモータリゼーション元年と言われている。その年の4月、鳴り物入りで日産サニーが登場。それを追うように11月にはトヨタからカローラが発売される。その後はサニーとカローラによる販売合戦、宣伝合戦が始まり、マイカーブームに火がつくのである。

しかし、三菱 コルトはそんなブームには乗り切れなかった。エンジンの出力をアップし、マイナーチェンジでテコ入れをしたにも関わらず販売は伸び悩むのであった。国際的にも注目され、流行していたファストバックスタイルの車だったのだが、なぜダメだったのだろうか。

もちろん、日産やトヨタの販売網の充実とか、広告の投入量の多さなどが圧倒的だったという点もあるだろう。しかし、もっと根本的な原因があったような気がするのである。

コルト1000FのCM動画
コルト1000FのテレビCMである。ラジオの音楽に合わせて軽快なドライブを楽しむ男性が登場。このCMもまたファストバックを強調している。出演しているジェリー伊藤がこれまた懐かしい。60年代の映画で外人役でよく出ていた。コルトは、外車のスタイルでカッコいいぞ!ということなのだろう。しかし、それでもコルトはモータリゼーションの波には乗り切れなかった。

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普通の車とは違うスタイルが仇になった?