三菱重工が開発した乗用車、コルト。
さて、この車コルト800は、三菱によって開発、製造された。だがその三菱とは、三菱重工のことである。三菱自動車は、昭和45年(1970年)に三菱重工から分社したメーカーであり、この車が開発された時代は、まだ三菱重工であった。
三菱と言えば戦前は大財閥であり、傘下の企業で自動車、船舶、飛行機などの製造を行ってきた。日本初の量産型自動車である三菱 A型を作ったことでも有名である。また、太平洋戦争中の名機零戦も三菱が開発、製造した飛行機である。
戦後に財閥は解体したが、三菱はグループとして生き残る。その三菱の戦後の機器製造部門を担ったのが、三菱重工なのである。そして昭和35年(1960年)、三菱重工は、戦後初の乗用車三菱500を開発する。その車は通産省が打ち出した国民車構想に基づき初めて自社で開発したものだった。
さらに昭和37年(1962年)には、コルト 600を発売する。ここで、コルトという名前が登場することとなるのだが、コルトとは、英語で若い雄馬のことを指す。それは、アメリカ的なイメージを打ち出した車でもあった。当時としてはスマートでモダンなデザインが話題を呼んだが、期待するほどは売れなかったようだ。

三菱A型
日本初の量産車三菱A型。三菱の従業員とともに撮られたスナップ写真である。撮影は1917年。なんと1910年代に日本の量産車製造は始まっているのだ。
【Mitsubishi Motors Corporation, Public domain, via Wikimedia Commons】
日本初の量産車三菱A型。三菱の従業員とともに撮られたスナップ写真である。撮影は1917年。なんと1910年代に日本の量産車製造は始まっているのだ。
【Mitsubishi Motors Corporation, Public domain, via Wikimedia Commons】
三菱500とコルト600
戦後の三菱重工で製造された車が並んでいる。手前が三菱500で、その奥がコルト600だ。愛知県岡崎市の三菱オートギャラリーで撮影されたもの。
【The original uploader was Ooyubari9201 at Japanese Wikipedia., CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
戦後の三菱重工で製造された車が並んでいる。手前が三菱500で、その奥がコルト600だ。愛知県岡崎市の三菱オートギャラリーで撮影されたもの。
【The original uploader was Ooyubari9201 at Japanese Wikipedia., CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
