Checker Marathon

毎日使うなら、この車。
大きめのラジエターグリルにヘッドライトは4つ。頑丈そうなバンパーも面白い。何か特別な用途に使うのだろうか。全体的にズングリとしたスタイルで、無骨な印象を与える車でもある。
この車は、アメリカの自動車メーカーチェッカー・モーターズのチェッカー マラソンである。1960年から1982年にかけて製造、販売された。上の車はマイナーチェンジが行われた1963年型であるが、この車、基本的にデザインの大きな変更は行われず、ほぼ20年間同じスタイルのままであった。
ある車にそっくりなマラソン。
このチェッカー マラソン、ボディカラーを黄色にするとある車になる。ニューヨークのタクシーとして名高いイエローキャブにそっくりなのである。実はマラソンという車、元はタクシーなのだ。チェッカー・モーターズが、タクシー用車両として製造、販売していたチェッカー タクシーキャブの一般向け乗用車版、それがチェッカー マラソンなのである。

黄色いボディに、チェックのライン。これぞニューヨークのイエローキャブである。1960年代、70年代は街にあふれていた。写真は2011年に撮られており、この車は、結婚式の記念撮影の小道具として用いられていたもの。やはり、ニューヨークのイメージづくりに欠かせない車なのである。
【Jim.henderson, CC0, via Wikimedia Commons】
そもそもチェッカー・モーターズという自動車メーカー自体、タクシー車両の専門メーカーでもあった。では、タクシー専門のチェッカー・モーターズがなぜ一般向けの車を製造、販売することになったのだろうか。
アメリカのタクシーの歴史を作ったチェッカー。
まずはここで、メーカーのチェッカー・モーターズについて語ろう。チェッカー・モーターズは、ロシア生まれのアメリカ人実業家モーリス・マーキンによって1922年に設立されたメーカーである。
このマーキンという創業者、根っからのビジネスマンであった。1910年代にマーキンは衣料品業で成功するのだが、その関連で事業を拡大するのでなく、倒産の危機に瀕していた自動車メーカーを買い取り自動車業界に参入するのである。マーキンが買い取ったメーカーは、シカゴとニューヨークで営業していたタクシー会社チェッカー・タクシー向けに、タクシー専用車を納入していた。
彼はそのタクシー車両の製造、販売に旨味を感じたのだろう。閉鎖された工場を買い取ってタクシー製造ラインを充実させ、他のメーカーからタクシー製造のノウハウを持つ技術者を引き抜くなど、タクシー車両の製造に重点を置くようになる。
そしてマーキンは、タクシー会社であるチェッカー・タクシーの営業権まで獲得する。タクシー製造だけでなく、タクシー事業そのものにまで参入するのである。しかも、チェッカー・タクシーのライバルであったタクシー会社イエロー・キャブまで買収する。この人物、やることが徹底している。

1929年1月7日付シカゴ・トリビューン紙に掲載された広告。地元の名士であろうウェナー男爵夫人が「シカゴのスマートなチェッカーキャブ」を推薦している。
【Checker Cab, Public domain, via Wikimedia Commons】

後ろにエンパイヤステートビルが見える。ニューヨークのマンハッタンで撮られたもののようだ。駐車しているタクシーはチェッカーのモデルYという車種である。1938年撮影。
【Don O’Brien from Piketon, Ohio, United States, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】
しかし、彼がタクシー業界で力を持つことによってアメリカのタクシーがより充実したのも事実である。マーキンは運転手に制服を支給し、乗客を乗せる際には運転手がドアを開けることを命じた。さらに、すべての乗客を乗せることも義務付けた。乗車拒否をさせないようにしたのである。まだまだ人種差別が激しかった当時のアメリカでは画期的なことでもあっただろう。
タクシー専用車を一般向けに。
こうしたタクシー王マーキンの自動車メーカーであるチェッカー・モーターズの作ったタクシーは、戦前から人気を得、1950年代の中頃になるとアメリカの各地で使われるようになっていた。
さて、チェッカー マラソンの元となったタクシー専用車であるが、その車は、1956年に登場したチェッカー タクシーキャブA8型である。ヘッドライトとボンネットが一体になったいわゆる戦後型のスタイルで、車内は広く、頑丈さが売り物であった。
A8型は、ライトが4灯式となり、グリルやテールライトの形が変更されるなど、少しづつ改良が加えられるが、1960年に、タクシー専用のA9型と、一般向けセダンのA10型が発表される。そのA10型の高級版A12型がチェッカー マラソンである。
では、なぜタクシー車両製造メーカーであったチェッカー・モーターズが一般向けの車を製造、販売するようになったのだろうか。詳しい経緯はわからないが、やはり乗りやすく、頑丈なタクシー車両は、一般向けの車としても売れると判断したのだろう。

どっしりとしたイメージ。大きなラジエターグリルで、印象深い顔つき。後部の座先が広く、快適そうである。タクシーそのものを乗用車にしたのであるから当然である。
普段使いの車は、タクシーがいい?
1960年代になるとアメリカの一般向けの乗用車は、低く、幅が広く、スマートなスポーツカータイプの車が好まれるようになる。さらに、そうした車にパワフルなエンジンを載せたマッスルカーへと進化してゆく。高速道路をスマートな車でぶっ飛ばすというのがその頃のアメリカのカーライフのイメージでもあった。
でも、その一方で、普段遣いの車はそんなにぶっ飛ばす必要はなく、何よりも車内が広く、乗りやすく、運転しやすいのが一番であると考える人も当然いただろう。その頃流行りのカッコいい車は車高が低く、乗りにくく、しかも狭いのだから。
やはり普段使いの車は、車高が高く乗りやすいタクシーのような車がいいのである。さらに、タクシーは運転手が1日中乗っているのだから運転しやすくできており、安全性も確保されている。また、トランクが広く使い勝手もいいし、何よりも頑丈で壊れにくいのだ。

ゴルフ場をバックに描いた1965年のイラスト広告である。ファミリーカーとしてレジャーに使ってほしいとのメッセージが読み取れる。
【1965 Checker Marathon 4-Door Sedan by aldenjewell, on Flickr】

「チェッカーマラソン・ザ・スーパーカー」というキャッチフレーズが踊っている。マラソンはタフで、長く乗れ、快適で室内も広いスーパーカーなのである。ナショナルジオグラフィック1968年5月号の広告。
【Checker Marathon by dok1, on Flickr】
こう考えると、タクシー車両の一般向けバージョンであるチェッカー マラソンは、車を毎日使う人にとってはいいこと尽くめで、売り出せばヒット間違いなし・・・とチェッカー・モーターズは考えたのかもしれない。だが、実際はそれほど売れなかったようだ。
実用性のある車ではあったが・・・。
当時、チェッカー マラソンの実用性を支持する顧客はいた。しかし、多くの車の購入者は実用性よりもスタイルやパワー、つまりイメージを優先したのである。カッコいいだろ!と自慢できる車でなければ売れなかったのだ。
しかもこれは、タクシーとしてチェッカーの車が使われすぎていたというところにも問題があった。それほどチェッカーのタクシーは街中を走っていたわけである。60年代や70年代の映画やテレビでもタクシーと言えばチェッカー車が登場する。あの名作「タクシードライバー」がよい例だ。主演のロバート・デ・ニーロは黄色のチェッカータクシーを運転していた。
1976年の映画「タクシードライバー」の予告編である。とにかくロバート・デ・ニーロが若い!マンホールから吐き出されるスチームの中から登場するイエローキャブの姿にも痺れたものである。
ゆえに、チェッカー マラソンに乗っていると「なんだお前、タクシーの運ちゃんになったのか」とか言われて笑われるのがオチだったのかもしれない。また当然、彼女も誘いにくかったことだろう。
要するに、人々にとって車に乗るというのは兎にも角にもイメージ優先なのだ。これは当時も今も変わらない心理・・・というか真理である。
アメリカミズーリ州の旧車のディーラーmotoexoticaの動画である。1982年製のチェッカーマラソンの外観やインテリアなどを紹介している。最後には走行動画を見ることもできる。1982年製であるが、発売当初の60年代のものとほとんど変わっていない。そこがまたこの車のすごいところでもある。