A112、もともとは試験的な車だった。
さて、こうしたアウトビアンキが1969年に登場させたのがA112である。この車は、前述したようにフィアットが開発した前輪駆動システムを搭載した車であった。つまりA112も、ベースはフィアット車であったわけだ。しかし、ビアンキーナのような高級車という位置づけではなかった。
車のベースを提供したフィアットとしては、A112は、スーパーミニの前輪駆動車を市場がどう受け止めるかを確かめるための車という思惑があったようだ。試験的な車という認識だったのである。実際にフィアットは、A112の成功を受け、1971年にスーパーミニのフィアット127を投入し、ヒットさせている。
しかし、アウトビアンキA112は、フィアット127のヒットによりその役目を終えたわけではなく、人気車となり、1986年まで製造、販売が続けられた。しかも、新たなニーズを見出すことにもなった。これが、A112の面白いところでもある。では、新たなニーズとは何か。

アウトビアンキA112
1970年製のアウトビアンキA112の実車である。2018年に撮影されたものだ。50年以上前の車だが、よく整備されている。
【Corvettec6r, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
1970年製のアウトビアンキA112の実車である。2018年に撮影されたものだ。50年以上前の車だが、よく整備されている。
【Corvettec6r, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】

ミラノで見られたA112
ビアンキの地元であるイタリアミラノのドゥオーモ広場で見られた白いアウトビアンキA112。1975年の撮影である。この頃、庶民の車として大いに人気だった。なお、隣の黄色の車はフィアット124のタクシーである。
【Gerry or Gerrit Labrijn, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons】
ビアンキの地元であるイタリアミラノのドゥオーモ広場で見られた白いアウトビアンキA112。1975年の撮影である。この頃、庶民の車として大いに人気だった。なお、隣の黄色の車はフィアット124のタクシーである。
【Gerry or Gerrit Labrijn, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons】
