大戦後、シムカは自社開発をスタート。
1939年に第二次世界大戦が勃発し自動車の生産はストップするが、大戦が終わると、シムカはいち早く自動車生産を再開する。それは、各メーカーの工場が空襲などで壊されていたにもかかわらず、幸運にもシムカの工場は戦災を受けていなかったからである。
そしてシムカはここで、会社の方向性を変更する。フィアット車のライセンス生産ではなく、戦後の社会に向け独自の設計、開発による車を投入することにしたのである。では、独自の車としてどんな車を出すべきか。
「これからは平和な時代だ。ショールームに来る顧客は車のスタイルを気にするに違いない!」シムカの開発陣はそう確信したのだろう。そこで、ポンツーンスタイルである。フランスの他の自動車メーカーにはない新しさや個性を、シムカはこの車アロンドに注ぎ込んだのだ。

海岸通りのアロンド
上の写真は1960年のオーストラリアでのスナップである。きっと家族が休日にドライブに来たところなのだろう。
シムカは、アロンドの開発・製造にあたり、家族のこんな平和な生活には、スマートで個性的なアロンドがピッタリ・・・と顧客に訴えたかったのである。
【kenhodge13, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】
上の写真は1960年のオーストラリアでのスナップである。きっと家族が休日にドライブに来たところなのだろう。
シムカは、アロンドの開発・製造にあたり、家族のこんな平和な生活には、スマートで個性的なアロンドがピッタリ・・・と顧客に訴えたかったのである。
【kenhodge13, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】
