オリンピアという名の由来。
さて、この車の名前であるが、「オリンピア」とはどこから来ているのだろうか。想像はすぐにつくだろうが、オリンピックである。オリンピアが登場した翌年1936年の8月、ベルリンでオリンピックが開催される。オリンピアはそのオリンピックにちなんだネーミングなのである。
当時のドイツにとってオリンピックの開催は悲願であったと言えるかもしれない。最初、ベルリンでのオリンピック開催は1916年に予定されていたが、第一次世界大戦によって大会は中止となる。しかもドイツは第一次世界大戦で敗戦国となり、経済的な危機に陥ったのである。
そんなドイツも1920年代の中盤には経済が安定し、国際社会にも復帰して、1936年のオリンピック開催が決定する。1933年からドイツを治めていたのはアドルフ・ヒトラー率いるナチス政権であった。ナチスは、オリンピックをプロパガンダのためのイベントとして大いに活用する。アーリア民族の優秀性を世界に知らしめるための絶好の機会と捉えたのである。
そのため、競技場や選手村の建設をはじめ、道路や空港、宿泊施設の整備を国を挙げて行った。また、競技の様子を放送で中継したり、大会のドキュメンタリー映画の制作を行うなど、宣伝活動も徹底的に行ったのである。
ナチスの思惑はどうあれ、ドイツの国民にとってやはりオリンピックの開催は喜ぶべき事柄であったに違いない。敗戦国で貧しかったドイツがここまで復興し、世界に向けてドイツの優秀性を訴えることができるのだから。ちょうど1964年の東京オリンピックの時の日本人と同じである。

1936年にベルリンで撮影された写真。オリンピックの大きな垂れ幕や「ゲストを歓迎します」と書かれた垂れ幕が見られる。道路の上には五輪マークとハーケンクロイツの旗がなびいている。オリンピックで大いに盛り上がっているようだ。
【N.N., CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
人々の熱狂を車名にしたオペル。
ドイツ国民が大いに盛り上がった大会なのであるから、自慢の新車を売りたいオペルが、それを放っておくわけはない。最新の技術を注ぎ込んだ車にオリンピアという名をつけたというわけである。
このベルリンオリンピックは、競技場の建設や開催式の派手な演出、中継など、現在のオリンピックに通じる部分が多い大会と言える。さらに、一般庶民がそんな演出を喜び、それを企業が宣伝や販売に活用するという図式もこの時にできあがっており、オペルオリンピアもそのひとつなのである。
オリンピアが登場した4年後、世の中は第二次世界大戦に突入して、オリンピアの製造はストップするが、戦争が終わって2年後の1947年には早くも製造が再開される。工場は空襲を受けており、この大戦でもドイツは敗戦国となったのだが、戦前と同じオリンピアが生産され人々に届けられたのである。
