ランチア、そしてアウレリア。
ランチアは、フィアットのドライバーであり開発部門でも活躍していたヴィンチェンツォ・ランチアが設立したメーカーである。創業は1906年というから、自動車産業の黎明期からあった会社でもある。
ヴィンチェンツォは、創業者でありまた開発者として、自分ならではの車を作りたいという思いがあったのだろう。新たな技術を取り入れるのに積極的であった。モノコックによるボディ製造や空力を考慮して設計された流線型スタイルをはじめ、独自の設計によるエンジンやサスペンションなどを搭載した高級車を製造し人気を得た。

ヴィンチェンツォ・ランチア
1905年発行の雑誌「オートモビル・トピックス」に載せられた写真である。いかにも車好きのオジサンという感じである。
【not credited., Public domain, via Wikimedia Commons】
1905年発行の雑誌「オートモビル・トピックス」に載せられた写真である。いかにも車好きのオジサンという感じである。
【not credited., Public domain, via Wikimedia Commons】

ランチア ラムダ
ランチアが1922年から1931年まで製造していた車で、乗用車としてはじめてモノコック構造を採用している。写真は1923年式のラムダでドイツミュンヘンの交通博物館分館所蔵のもの。
【MartinHansV, Public domain, via Wikimedia Commons】
ランチアが1922年から1931年まで製造していた車で、乗用車としてはじめてモノコック構造を採用している。写真は1923年式のラムダでドイツミュンヘンの交通博物館分館所蔵のもの。
【MartinHansV, Public domain, via Wikimedia Commons】
そして、第二次世界大戦後の1950年、ヴィンチェンツォの息子であるジャンニ・ランチアの時代にランチア アウレリアが登場する。それは、世界初のV型6気筒エンジンを搭載し、独自のギアシステムを持つ車であった。ランチアにとっては戦後初の車であり、メカニズムはもちろんボディスタイルにも大いにこだわりを見せていた。
50年代の車というと、まだまだズングリしたスタイルが多かったのだが、ランチア アウレリアは、フロントからリアまで流れるラインでデザインされている。しかも、1951年登場の2ドアクーペにはGTつまりグランツーリスモというモデル名が付けられた。GTというモデル名のついた車は今も多く存在するが、この時のアウレリアが世界初であった。
ランチア アウレリアはこの後、モデルチェンジを繰り返し、メカニズムやデザインが洗練されていく。そして1954年に、イタリアのカロッツェリア・ピニンファリーナによってデザインされたランチア アウレリアB24が登場するのである。

ランチア アウレリアGT
1957年製のアウレリアGT2ドアクーペである。ズングリした車の多かった50年代に、ランチアはこんな車を製造、販売していたのだ。
【Lars-Göran Lindgren Sweden, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
1957年製のアウレリアGT2ドアクーペである。ズングリした車の多かった50年代に、ランチアはこんな車を製造、販売していたのだ。
【Lars-Göran Lindgren Sweden, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
