FMR TG500

ブームに乗ってヒットしたマイクロカー。

KR175は1955年にKR200へと進化した。タイヤサイズが大きくなり、サスペンションもリニューアルされ、全体的な空力デザインや軽量化により、200ccエンジンで時速90キロを出したという。また、250cc未満の3輪自動車の24時間走行世界記録も打ち立てた。耐久性にも優れているのを証明したのである。これらもまた航空機の設計、製造を行ってきたメッサーシュミットの面目躍如というところだろう。

第二次大戦後、自動車の需要が高まった際に、低燃費で税金も安いマイクロカーがブームとなった。1950年代にはスエズ危機による石油不足で燃料価格が上がったことにより、ヨーロッパではさらにブームが加速する。こうした状況の中で、メッサーシュミットの3輪自動車もヒットした。

KR200 1961年の写真
1961年に撮影されたKR200
風防を開いている珍しい写真。西ベルリンの大通りで撮影された。こうしてみると、バイクに近いイメージの車だったことがわかる。
Mathias Hirsch, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】

ところが、1956年に航空機の製造が許可されるとメッサーシュミットはあっさりと車の製造部門を切り離してしまう。マイクロカーの将来にそれほど期待を持ってはいなかったのだろう。また、根っからの飛行機屋であり、車の販売は自分たちの仕事ではないという思いもあったのかもしれない。この時、メッサーシュミット社から独立したのがFMRであり、KR200の生産を続けた。

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そして、4輪のスポーツカーが登場した。