ルノー ドーフィン

女性の視線を考慮したカラー計画。

ルノー ドーフィンの開発にあたって特筆すべきことがもう一つある。それは、女性の好みを考慮に入れた車作りを行ったということである。大衆車の開発で女性のニーズを考えるのは今では当たり前だ。しかしルノーは、この車ドーフィン開発時に独自の調査を行い、女性は車の色に対して強い意見を持っていることを知り、車のカラー計画に積極的に取り組んだのである。

折からパリの著名なデザイナーのポール・マロットからも、ルノーの会長宛に手紙で、「戦後のパリの自動車は一様に陰気な色使いであり、もっと鮮やかで明るい車が必要だ」との意見が寄せられていた。

ポール・マロットは、画家でスタイリスト、そしてデザイナーとして1920年代から70年代初頭まで活躍していた女性である。特に彼女のテキスタイルデザインは、草花をはじめとする自然をモチーフとし、明るく鮮烈な印象を与えるものだった。

そこで会長は、マロットをドーフィンの開発チームに招く。会長は「これでルノーの息苦しいイメージを払拭できる。これまで黒か白かグレーだった車体も、幸せな色に塗られるだろう」と語ったと言われている。

ドーフィンの運転席周り
ドーフィンのインテリア
車体とダッシュボードのカラーが見事に調和したインテリア。ドアの内側とシートのツートンカラーもオシャレだ。このシート生地もマロットが開発した。
ZidaneHartono, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
ドーフィンのボンネットのエンブレム
ドーフィンのエンブレム
ドーフィンのボンネットには王冠とイルカをあしらったエンブレムが付けられている。これもマロットのデザインである。
Mic from Reading – Berkshire, United Kingdom, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】

マロットは、ドーフィンのために新しいボディカラーとインテリアカラーを提案。そこには、競合他社の車とは一線を画す明るい色が含まれていた。色の名前も単にレッドとかブルーではなく、ルージュ・モンティジョとかブルー・ホガーといった魅力的なものにした。

例えば、ルージュ・モンティジョのモンティジョはポルトガルの南部にある都市の名であり、その都市の家並みに見られる赤い屋根の色をイメージしたのかもしれない。いずれにしろドラマ性にあふれたネーミングである。

ドーフィンのCM
1962年のアメリカのテレビCMである。この車の経済性やコンパクトさを謳ってはいるが、運転しているのは女性モデルであり、「ママにとっては運転しやすくカッコいい」といったナレーションが入る。やはり、女性に選ばれる車という点も“売り”だったのだ。

「世界で最も美しい4人乗り」

このようにこだわって開発し作り上げたドーフィンは、発売されるや話題の車となり、フランスだけでなく海外でも成功を収めた。アメリカのある自動車専門誌はこの車を「世界で最も美しい4人乗り」と称賛したそうである。やはりマロット提案のカラーバリエーションが、目論見通りとなったのである。

この後1960年代に入ると、ルノーは、あの大ヒット大衆車ルノー 4を生み出すことになる。しかし、「車にも女性の視線を取り入れ美しく」というフランスらしいこだわりを注ぎ込んだドーフィンは、この時期のルノーにとって、とても意義深い車となったことは間違いない。

ドーフィンの解説動画
ルノー ドーフィンのスタイルやインテリアからメカニズムまでを詳しく解説した動画である。走る様子もたっぷりと収録されている。