メルセデスベンツ 300SL

超軽量車体のための工夫が生んだもの。

300SLのSLとはドイツ語のsuper-leichtの略で、超軽量を意味している。300SLは、鋼管を組み合わせて骨組みを作るフレーム構造で強度と軽量化を実現。ボディの軽さによってエンジンの出力不足を補い、その強度により24時間レースを好タイムで走りきることができたのである。

ところがこのフレーム構造によって、通常のドアは設置できず、上に開いて乗り込むドアを取り付けることになった。いわゆるガルウィングドア、かもめの翼のように開くドアの誕生である。しかも、ドアの位置が高く、乗り降りしにくかった。レース用の車なのであるから多少の不便は気にしなかったのだろうが・・・。

しかし、いざレースに出場するとこのガルウィングに物言いがついた。だが、チームの監督が「ドアが横開きになっていなければいけない」という規定はどこにもないと駄々をこね、レースの出場が認められたという話が伝わっている。やはりこのガルウィングドア、当時はとても珍しく、奇異に見えたようである。

300SLの車体の骨組み
300SLのフレーム構造
これによって軽く、強い車体を実現した。よく見ると、ドアの部分には鋼管が通っている。そのため、普通のドアは付けられなかった。
Thesupermat, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
ガルウィングドアを開けた300SL
ガルウィングドア
カレラ・パナメリカーナ・メヒコに出場した300SLである。運転席側のドアが開いている。上に開いたドアがかもめの翼のように見えたのでこの名がついた。
Thomas Vogt from Paderborn, Deutschland, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】

レーシングカーから市販車へ。

1952年、ベンツ300SLはル・マン24時間だけではなくメキシコで行われたカレラ・パナメリカーナ・メヒコにも出場する。カレラ・パナメリカーナ・メヒコとは、メキシコ国内の約3000キロのルートを5日間で走るというもので、直線コースあり山道ありの過酷な耐久レースであった。300SLは、途中トラブルに見舞われながらも走りきり、優勝する。

そのレースでの活躍がアメリカのスポーツカーファンたちを刺激し、ベンツ300SLは、新たな展開を迎えることになる。このレース用の車を一般向けに売り出そうということになったのである。

1952年のカレラ・パナメリカーナ・メヒコでのスナップ
カレラ・パナメリカーナ・メヒコで優勝した300SL
300SLはこのレースで、フロントガラスに鳥がぶつかり壊れるというトラブルに見舞われたが優勝する。写真の車にはフロントガラスに防御柵が付けられているが、そのトラブルでガラスを付け直した際に一緒に設置したものである。なお、車の前の人物はドライバーのH.クレンクとK.クリング。
La Carrera Panamericana, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】

そんな市販車の話を持ちかけてきたのは、ニューヨークで高級車の輸入を行っていたアメリカのディーラーであった。ディーラーにはアメリカで売れるという自信があったのだろう。1000台注文するという条件をつけて、300SLの市販車の製造を打診してきたのである。

そこで、もともとレース用に製造した車であったのだが、ベンツは300SL市販車の製造を決断。1954年のニューヨーク国際オートショーで一般向けの300SLがデビューする。

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ガルウィングドアが、注目の的に。