最初のラインナップはクーペだけだった。
この車、発売当初はスプリントと呼ばれる2ドアクーペだけであった。普通は新しい車種の登場の場合、セダンから投入され、クーペ、ワゴンといったようにバリエーションが増えてゆくものなのだが、ジュリエッタはクーペが最初で、その翌年、セダンタイプのベルリーナとオープンタイプのスパイダーが追加されている。
最初に登場した2ドアクーペのスプリント。セダンタイプはこの1年後に発売された。
【Xabi Rome-Hérault, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons】
なぜ最初がクーペだったのか。それについては面白い話がある。
この車の開発に際し、解決できない一つの問題があった。それは車内の防音性が不十分であるということだった。車のパワーや操縦性、安定性は素晴らしかったものの、走行時の車内の騒音が、競合他社の車と比べて高かったのである。
そこで車の開発陣は、スポーティな車ならば多少の騒音があってもユーザーには許容されるだろうということで、まずクーペタイプを発売することを提案した。その後防音性の問題を解決すればよいと考えたのである。
経営側はその提案を最初は拒否するものの、結局受け入れることになる。それで、2ドアクーペが最初に発売されることになったのである。

手前がベルリーナ、その隣がスパイダーだ。2010年にイギリスのブルックランズで行われたイタリア車のイベントで撮られたもの。なお奥の緑の車はアルファロメオ モントリオールである。
【Tony Harrison from Farnborough, UK, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons】
ファンの話題をさらったジュリエッタ。
やはりこの時期、防音性の問題を後回しにするとしても、とにかく新型車を発売することが先決だったのであろう。
1950年代中盤から60年代中盤にかけて、イタリアは「奇跡の経済」と呼ばれる経済発展の時代であった。戦後の混乱期を抜けて人々の消費意欲は大いに高まっていた。ここでアルファロメオは買いやすく、しかも自社の伝統を感じさせる新型車をどうしても投入したかったのである。
アルファロメオ ジュリエッタは、1954年のトリノモーターショーで発表されるやいなや人々の注目を集めることとなった。
手頃な価格で、あのアルファロメオ=高性能車が手に入るということは、車大好き人間にとって大きな魅力だったのである。今もイタリアで人気の自動車雑誌QUATTRORUOTEの創刊号の表紙を飾ったのもこのジュリエッタであった。

1956年2月の創刊号ではジュリエッタの絵が登場したが、この写真は1963年6月号の表紙で、ジュリエッタスパイダーが登場している。飛行場で飛行機の間にジュリエッタが停まっているという演出が60年代らしい。
【See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons】