1949 ford

乗用車の戦後は、フォードから。
フォード車である。アメリカの自動車メーカーフォードの1949年型の車だ。車の名前と言えば、普通ならフォード◯型とかフォード◯◯◯といった具合に車の型式や愛称が付くものなのだが、この車の場合は飽くまで「1949年型 フォード」だ。登場したのは1948年。それから1951年まで、マイナーチェンジしながら生産が続けられた。
新型車の投入に湧いた戦後の自動車メーカー!
この車が生まれた1948年といえば、第二次世界大戦が終わってまだ3年である。戦後の混乱は収まりかけてはいたものの、戦争に巻き込まれた国はどこもまだ復興途上といったところだった。
だが、大きな戦災を受けていないアメリカにはやはり余裕があった。アメリカの三大自動車メーカーいわゆるビッグスリーは、この頃、新型車を投入し、戦後の自動車市場で主導権を握ろうと躍起になっていた。しかし、新型車の投入とは言うものの、当時はまだ戦前の車の焼き直しが多いのも事実だった。
そこにフォードが全く新たな戦後スタイルの車を出したのである。それが、1949年型フォードだ。しかもこの車、創業者ヘンリー・フォードが1947年に亡くなった後の最初の車でもあった。フォードとしても、新時代の象徴だったのである。

これは、1949年型フォードが出る前の1946年型のフォード車である。1941年型と基本的にスタイルは同じだ。なおこの車は、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で敵役のビフ・タネンが乗るコンバーチブルタイプのクーペとして登場している。
【GeneralOmega911, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons】

1935年1月14日のタイム誌の表紙を飾った晩年のヘンリー・フォード。彼は、1918年にすでに息子のエドセルに社長の座を譲っていたが、その後もフォード社の経営に大きな力を持ち続けた。
【Cover credit: Jeffrey White Studios, Inc. [1], Public domain, via Wikimedia Commons】
スタイルも、機構も、新しく。
さて、この新たなフォードのスタイルに注目してみよう。現代の車に慣れた目で見ると全体的に丸くズングリした印象を受けるが、これが当時としてはとてもスマートであった。
戦前までの自動車といえばいわゆるクラシックカースタイルが多かった。箱型の車体に長いボンネットが付き、ヘッドライトがボンネットとは離れているというスタイルだ。1930年代に流線型が流行すると、ボンネットとライトが一体になり、車体全体もなだらかなカーブを描くというスマートな形に変わっていったが、まだ全体的に車高が高かった。
そこに、この1949年型フォードの登場である。それまでの車と比べると車高が低く、ボンネットとライトの高さが一緒になったよりスッキリしたスタイルで登場した。これをフラッシュサイドスタイルとかポンツーン型と言うが、人々はこのスマートな形に、新時代の車という印象を持ったのである。
しかも、この車、フロント周りがまた個性的であった。太めのクロームバンパーが輝き、フロントグリルの中央には弾丸型の飾りが付いている。60年代の派手なアメリカ車の片鱗を見せてくれるデザインでもあった。また、車体側面のモールも車のスマートさを演出している。

ボンネットとライトを一体化したポンツーン型のスタイルである。当時としてはとても新しさを感じさせた。フロントグリル中央の弾丸や太めのクロームバンパーもこの車の個性を際立たせている。
エンジンに関しては、直列6気筒エンジンが標準で、強力なV8エンジンを搭載するグレードも用意されており、走りに関してはそれまでのフォード車同様の仕様である。しかし、この車からはコイルスプリングによるサスペンションを使用し、さらに1950年には、オプションとしてオートマチック、つまりギアチェンジ操作の不要なAT車も提供される。パワーだけでなく、乗り心地や運転のしやすさも考慮した車となっているのである。
やはりフォード。庶民派の車でもあった。
このように1949年型フォードは、戦後型の全く新しい車となったわけだが、決して高級車という扱いではなかった。中流家庭のためのファミリーカー、庶民の車として販売されたのである。
しかし、それこそフォード車であった。フォードの最初のヒットはフォードT型であるが、それは、大量生産による低価格化を実現し、自動車をお金持ちの道楽から一般庶民の道具へと変えた歴史的な車であった。そのフォードT型の流れを継承する第二次大戦後の車だったのである。
ゆえに、そのボディタイプもさまざまで、2ドアセダン、4ドアセダンをはじめ、クーペ、コンバーチブル、ステーションワゴンにクーペユーティリティなどがラインアップされた。なお、クーペユーティリティとは客室の後ろに荷台を備えたタイプで、オーストラリアで主に使用されていたものである。

発売当時の雑誌広告のようである。キャッチフレーズは、「そう!フォードはまた新たなリーダーを作り上げた!」。あのT型を作ったフォードが新時代の車を作ったのだ、という意気込みが伺える。スタイリングの魅力をはじめ、快適さ、使いやすさなども大いに訴えている。
【Andrew Bone from Weymouth, England, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】
まさに、どんな需要にも応えようというフォードの意気込みが伺えるラインアップでもある。この車は人気車となり、1949年には100万台以上の販売を達成する。やはり、戦後型のスタイルが庶民に大いに受けたのだろう。
そしてフォードは、同じ年、アメリカの自動車メーカーのトップの座に返り咲くこととなる。そう、この時期、フォードはトップの自動車メーカーではなかったのだ。戦後の新型として投入した1949年型フォードの登場が、この快挙に大きく貢献していることは言うまでもない。

アメリカオハイオ州の住宅地メドウェイパークで、1955年頃に撮影された写真。発売からほぼ5年後の写真だが、アメリカの一般庶民の乗用車として愛用されていたことがわかる。
【Columbus Metropolitan Library, Public domain, via Wikimedia Commons】
さらにこのスタイルのフォードは、1950年、1951年とマイナーチェンジを行いながら販売が続けられた。1951年には、特徴あるフロントグリルの弾丸飾りが2つになったデュアルブレッドグリルを導入。個性をより際立たせたのである。
世界で、そして日本でも人気に。
戦後型である1949年型フォードは、アメリカはもちろんヨーロッパの車にも大きな影響を与えた。スマートなポンツーン型の新車が戦後型として各社で開発され、製造、販売されたのである。そしてそれは、大きな波にもなってゆく。まさに、世界大戦をはさんで人々の移動手段であった自動車の形が大きく変化したのだ。同じ移動手段であった鉄道の形はそう変わらなかったのに・・・。
このフォードは、戦後間もない日本にも輸入されたようだ。当時日本はアメリカの統治下にあり、自動車の輸入が許可されたのは昭和26年(1951年)であるので、最初のアメリカからの輸入車の中に1949年型フォードが含まれていたと思われる。事実、昭和28年(1953年)刊行の岩波写真文庫「自動車の話」には、フォードの最新型としてデュアルブレッドグリルのフォードが掲載されている。
もちろんこの時代、日本の庶民には、大衆車と言えどフォードを買えるような余裕はなかった。もっぱら社用車か、タクシー、ハイヤーなどで使われたようだ。
だが、この1949年型フォード、日本の自動車メーカーにも大きな影響を与えた。昭和30年(1955年)、トヨタ自動車が開発、販売した初代のトヨタ クラウンは、戦後初の純国産車として話題となったが、そのクラウンもまた、見事なまでのポンツーン型だったのである。

昭和28年(1953年)に箱根の十国峠で撮影された写真である。若い男女と一緒に写っているが、彼らは新婚旅行の途中であり、この車はハイヤーだ。新婚さんは、熱海でハイヤーをチャーターし、ここまで来た。山道のドライブとなるとやはりフォードでなければということでハイヤーの会社はこの車を出したのだろう。もうこの頃には、アメリカ製のいい車としてフォードは日本に定着していたようだ。
【昭和30年代のアルバムより】
発売当時に作られたと思われるフォードの広告である。カラー映画で車の素晴らしさを紹介している。これまでにないスマートな低重心スタイルで機能も充実。しかも、低価格。生活や仕事に合わせた使い方ができる車種を用意していると語る。今見ても欲しくなる。