プジョー 202

プジョー202が伝えたかったこととは。

プジョーが生産を再開した時、まだ戦争は続いていた。ドイツが降伏し、ヨーロッパにおける戦争が終結したのは1945年5月である。その頃には、2月に再開した工場で生産されたプジョー202が、すでにフランスの街を走っていたかもしれない。

そして終戦1年後の1946年半ばには202の本格的な生産がスタートし、1948年に後継車のプジョー203にバトンを渡すまで生産が続けられた。

戦前、戦中そして戦後を生き抜いた車、プジョー202。プジョーは、戦前と同じ車を解放後すぐに戦争継続中でも作り続けることで、人々に「フランスは不滅だ!平和な時代が帰ってきた!」と感じさせたかったのではないだろうか。実際は、新型車を開発する余裕は無かったので、今できる202の生産をということだったのかもしれないが・・・。

とにかくプジョー202は、戦争で疲弊した人々の心に希望の灯をともしたのである。プジョーであることがすぐにわかる車であったということも大事だ。我が祖国は滅んではいないというイメージを強く焼き付ける事ができたのである。

プジョー202の紹介動画
現在も動態保存されている202の紹介。車内の様子や走る姿が登場する。

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この車は、小さなライオンだ。