プジョー 202

ドイツの管理下にあった戦時下のプジョー。

1939年、ドイツのポーランド侵攻から始まった第二次世界大戦は、次第にヨーロッパ全土を巻き込み、フランスは1940年6月にはドイツの占領下となった。

占領下のフランスの産業はドイツに接収され管理されることになるが、もちろんプジョーも例外ではなく工場はドイツ軍の管理下に置かれ、フォルクスワーゲンの傘下としてドイツの軍用車両を生産するようになる。

しかも戦争が激しくなると、連合軍の爆撃によって工場の一部は破壊され、原材料や製造機械がドイツへ送られたり、従業員の数を減らされたりすることで工場が稼働できない状況となっていった。

1944年6月、連合軍がノルマンディー上陸作戦を成功させ、8月にはパリを占領していたドイツ軍が撤退。フランスは解放される。その半年後の1945年2月、なんとプジョーはこの時を待っていたかのように自動車の製造を再開させるのである。

この時生産されたのがプジョー202だった。材料不足、従業員不足の中で、しかも工場の機械の多くがドイツに接収された中での製造再開であり、生産台数は20台であった。

パリ解放の時のシャンゼリゼ通り
パリ解放
1944年8月26日、シャンゼリゼ通りで自由フランス軍を迎えるパリ市民。
Jack Downey, U.S. Office of War Information, Public domain, via Wikimedia Commons】

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ととは。