モスクヴィッチ 400

モスクヴィッチもカデットも名車となった。

このようにして生み出されたモスクヴィッチ400だったが、やがてウッディーバンやコンバーチブルなど車種のバリエーションも増え、海外にも輸出されるようになる。すると、価格が安く、乗り心地もよいということでヒットし、当時のソ連の経済を支えることにもなる。そして、この後401、402、403と新型車が続々と投入されてゆくのである。

モスクヴィッチのウッディバン
ウッディーバン
車体の一部、ドアまわりに木材を使用したウッディバン。欧米の商用車にはよく見られる仕様でもある。モスクヴィッチにもラインアップされた。
Sergey Rodovnichenko from Moscow, Russia, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons】
切手に描かれたモスクヴィッチ400
ウクライナの切手
1953年製のモスクヴィッチ400が描かれた切手である。郵便の業務で使っている場面らしい。この車、ソ連ではとても一般的な車だったのである。
Укрпошта, Public domain, via Wikimedia Commons】
モスクヴィッチの宣伝フィルム
モスクヴィッチ400の改良型である401の宣伝フィルムである。1950年代にフィンランドで作られたものらしい。雪の積もる街をモスクヴィッチが飛ばしてゆく姿が撮影されている。

戦争という不幸な出来事がきっかけでソ連の名車ともなったモスクビッチ。もし戦争がなかったら、この車は生まれなかったのだろうか。いや、やはりAZLKは同様の小型車を作っていただろう。状況はどうあろうともユーザーの求めるものをなんとか作り出してしまう・・・共産圏であろうと自動車メーカーとはそういうものなのである。

一方、モスクヴィッチの元となったドイツのカデットはどうなったかと言うと、戦後すぐには製造できなかったものの60年代になると新生カデットを登場させる。そしてモデルチェンジを繰り返して、オペルの主要車種へと育ってゆくのである。

やはり、自動車メーカーはどこの国でもタフでしたたかなのだ。

モスクヴィッチ 400動画
美しくレストアされたコンバーチブルのモスクヴィッチ 400を紹介する動画である。ロシア語はよくわからないが、紹介する人のモスクヴィッチに対する愛が伝わってくる。