フィアット 1500

ヒットはしたが・・・時代が悪かった。

風洞実験から生まれた新しい流線型自動車は売れたのだろうか。クライスラーエアフローは、空力効率は良いもののそれまでの自動車とは大きく異なるスタイルのためか、商業的には失敗する。売れなかったのである。

しかし、フィアット1500は見た目も美しく、大きさも手頃であるためかヒットする。流線型スタイルで売れた初めての車となるのである。そして1939年、フィアットは、1500の改良版1500Bを発表している。主な改良点はブレーキだったようだが、スピードが出やすい流線型の安全性を考慮したのかもしれない。

ところがこの頃、フィアット1500もせっかくの流線型スタイルを十分に活かすことはできなくなってしまう。時代が悪かったのである。

フィアット1500実車の写真
フィアット1500の実車
2007年の旧車のイベントで見られたフィアット1500である。改良版の1500Bとのことだが、美しくレストアしてある。
Ekki01, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
発売当時のフィアット1500
発売当時のフィアット1500
写真の説明にはフィアット1500Aとあるので、改良前の初代の車と思われる。フロントグリルに花束が飾られているが、何かのお祝いに使われたのだろうか。
FOTO:FORTEPAN / Négyesi Pál, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
フィアット1500の動画
車のデザインや車内の様子などが撮影された動画である。タイトルは、FIAT1500 6C 43CV 1935とあるが、これは6気筒43馬力 1935年製のことである。

1500Bが登場した1939年の9月、ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発する。イタリアはドイツ、日本とともに枢軸国として連合国側と戦うこととなった。そうした事態となると国内体制は戦争遂行が第一となる。流線型のスマートな車に乗ってドライブを楽しむというわけには行かなくなるのである。

しかも、ドライブどころか車を動かすことさえできない。石油を輸入に頼っている国では、貴重なガソリンは飛行機や戦車が優先で、一般庶民は簡単に手に入れることはできなくなったのである。

「この非常時にガソリンを消費する自家用車に乗っている人間は非国民だ!」と、イタリアで言ったかどうかは知らないが、以前のように自由にガソリンが手に入る時代では無くなってしまったのだ。

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ガソリン不足に対応した木炭ガス。