庶民の自動車所有を進めようとしたドイツ。
当時のドイツの首相でもあったアドルフ・ヒトラーは、自動車に注目していた。1933年、ベルリンモーターショーにおいて自動車道路の建設と庶民向けの自動車の製造を進めることが国家の防衛力を高めると演説。
これによってアウトバーンの建設や、フォルクスワーゲンタイプ1いわゆるKdFワーゲン(後のビートル)の開発が始まった。そして、アウトバーンもビートルも、戦後のドイツやヨーロッパのモータリゼーション発展に大きく貢献してゆくことになる。

1943年に撮影されたアウトバーン
コンクリート舗装道路が続く様子が捉えられている。走っているのはKdFワーゲン(後のビートル)である。
【Bundesarchiv, Bild 146-1979-025-30A / UnknownUnknown / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 DE, via Wikimedia Commons】
コンクリート舗装道路が続く様子が捉えられている。走っているのはKdFワーゲン(後のビートル)である。
【Bundesarchiv, Bild 146-1979-025-30A / UnknownUnknown / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 DE, via Wikimedia Commons】

アウトバーンの起工式
1933年に行われた起工式の様子。ヒトラーが演説している。
【Bundesarchiv, Bild 183-2006-0613-500 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 DE, via Wikimedia Commons】
【Bundesarchiv, Bild 183-2006-0613-500 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 DE, via Wikimedia Commons】
この時期は、いわばモータリゼーションの萌芽の時代でもある。その中でメルセデスベンツが、こうした高性能な車を開発し、売り出したことは注目に値する。バラ色の車社会がメルセデスベンツには見えていたのだろう。
誰もが生活の役に立つ車を持てるなら、生活に華を添えるこんな遊び車も必要なのだと考えたのかもしれない。いずれにしてもメルセデスベンツ150は、当時のドイツの技術者、開発者の自信が形となったドイツらしい遊び車であり、その点で、人々の記憶に残る名車となったのである。
メルセデスベンツ150は値段が高いこともあって、早くも1936年には製造中止となってしまった。だが、この車の持つRRのメカニズムは、後にヒットしたフォルクスワーゲン・ビートルにもしっかりと受け継がれている。

復元されたメルセデスベンツ150
メルセデスベンツクラシックセンターで1934年発売当初の姿に復元された。
【Mercedes-Benz USA, LLC., CC0, via Wikimedia Commons】
メルセデスベンツクラシックセンターで1934年発売当初の姿に復元された。
【Mercedes-Benz USA, LLC., CC0, via Wikimedia Commons】