売れすぎが生んだ弊害からの脱却を目指す。
1999年12月に発表された「20世紀で最も影響力のあった自動車」、その1位に輝いた車がフォードT型である。大量生産方式で製造され、一般庶民が購入し運転することのできる始めての自動車だったのだから、それは当然の結果と言えるだろう。
実際にT型は売れに売れ、年間に100万〜200万台も生産された。最盛期にはアメリカで生産される自動車の半分以上がT型だったと言われている。
しかしその売れすぎが、弊害を生むことにもなった。1920年代の中盤を過ぎると、フォードの競合他社もフォードに倣って車の大量生産を始めていた。しかも、フォードT型より馬力のあるエンジンを持ち、運転しやすく、スタイルもよい車を次々と市場に送り込んでいたのである。
それによって、フォードT型の牙城は競合他社の新型に崩されつつあった。ところが、T型を成功させたヘンリー・フォードは、自分の開発した車にいつまでも固執していた。
例えば、すでに競合他社の車では標準装備であったセルモーターによるエンジン始動も、ヘンリー・フォードに言わせれば贅沢な装備であったし、車の良さは、スタイルやデザインではなく機能だとして、T型のデザインを変えようとはしなかったのである。

ニューヨーク州バッファローで1921年に撮影された写真。最新のT型とともに写っている。最新ではあっても、当時のT型はもう古臭いイメージになっていたようだ。なお、ヘンリーは、この頃は社長の座を息子のエドセル・フォードに譲っていた。
【New York, Public domain, via Wikimedia Commons】
ヘンリー・フォードは、大成功を収めた企業の創業者にはよく見られるタイプと言える。しかし、こうした頑固さがT型を時代遅れの車にしてしまっていたのだ。
実は、彼は1918年にすでに社長の椅子を息子のエドセル・フォードに譲っていたのだが、社内ではあいかわらず強い意見を持ち、最終決定権さえ持っていた。そんなフォードの社内体制が弊害を産んでいたのである。
そこでエドセル・フォードは、ヘンリー・フォードに、他社の車のような人々の求める車を開発することを訴え、なんとか新型車の製造、販売にこぎつける。“最初からやり直し”の意味を込めた新たなA型の登場である。