大量生産、販売を始めたベデリア。
二人の若者のこの奇妙な自動車はシンプルな作りが話題となり、二人は資金を得て、ブルボー・エ・デヴォー社を設立。自分たちの自動車にベデリアという名を付け、1910年から大量生産、販売を始める。
以降ベデリアは、モデルチェンジを行いながら1920年まで二人の会社で製造される。その後、製造は他のメーカーに引き継がれたが、結局1925年まで製造されたようである。
このベデリア、翼のない飛行機と言えば聞こえは良いが、運転はなかなか難しかったようだ。前に人を乗せ、車体の後ろで運転するのだから確かに普通の車のようには運転できなかっただろう。しかも、初期のベデリアはギアチェンジの方法が珍しく、運転手が前に乗る同乗者の助けを借りてチェンジを行うようになっていたそうである。
二人で行う運転とはどんな様子だったのだろうか興味が湧く。「せーの」とか言いながらギアチェンジをしていたのだろうか。さらに、同乗者のいない場合はどうしていたのだろうか。さすがにこの点は改良され、後に運転手一人でチェンジができるようになったようだ。

1912年に雑誌に掲載されたベデリアの広告。最初に値段を訴求し、続いてベデリアがいくつかのレースで好成績をあげたことを伝えている。
【See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons】

1919年の雑誌に掲載されたベデリアの写真である。2人が乗車するとこんな感じである。後ろの運転席は少し高くなっている。
【Automobilia : l’automobile aux armées, GPL, via Wikimedia Commons】
サイクルカーと呼ばれ、人気を呼ぶ。
しかし、ベデリアの登場以降、こうしたシンプルな形の車がブームとなり、1920年代の終わりごろまでヨーロッパやアメリカの様々なメーカーから同様の車が売り出された。オートバイのような簡便な自動車ということで「サイクルカー」とも呼ばれ人気を集めたのである。
各地でサイクルカーのレースも企画され、1920年にはフランスのル・マンでもサイクルカーグランプリが行われた。つまりサイクルカーは、単なる珍奇な車ではなく、当時の自動車社会の一端を担う車ともなったわけである。ベデリアは、こんなサイクルカーの元祖なのだ。
サイクルカーのベデリアがフランスでこの時期に人気を得たのには理由がある。それは、やはり安さである。普通の自動車と比べ価格が手頃であった。しかも、毎年徴収される自動車税の安さも魅力だったのである。当時のフランスでは軽量小型エンジン乗用車の税金は普通の自動車より割安であった。今の日本の軽自動車と同じである。

1913年にフランスのアミアンで開催されたサイクルカーグランプリの様子。前を走るのはイギリスの3輪自動車モーガンのようである。当時はこんなレースが各地で行われていた。
【Agence Rol, Public domain, via Wikimedia Commons】