オペル レコルトC

オペルレコルトC
オペル レコルトC 1967年

やはり車は、ボディラインだ。

60年代の車にしては珍しい角型ヘッドランプ。しかもスマートな車体が美しい。ドイツの自動車メーカーオペルのレコルトCだ。

オペルは19世紀から自動車製造を始めた老舗のメーカーである。1930年代にアメリカのGM(ゼネラルモーターズ)の子会社となり、戦後は、小型車から高級車までフルラインアップを揃えた有力メーカーとしてドイツの自動車業界を牽引した。ここで取り上げたいのは、このオペルの中型車レコルトである。

オペルのレコルトとは。

レコルトという車は戦後のオペルの代表車とも言え、1953年に初代が登場した。初めて戦後型のスマートなボディスタイルを採用した車でもある。当時のアメリカ車の流行を取り入れながら、初代のレコルトからPⅠ、PⅡ、A、Bと来て、レコルトCは6代目。1967年に登場している。初代から14年で既に6代目であるので、レコルトは結構早いサイクルでモデルチェンジを繰り返して来た車でもある。

オペルレコルトPⅠとPⅡ
オペル レコルト
当時のアメリカ車の流行を取り入れていた。手前がレコルトPⅡ、奥がレコルトPⅠである。
レコルトのサイドビュー
レコルトのサイドビュー
上がPⅠ、中がPⅡ、下がCである。レコルトCがライン重視のデザインであることがよくわかる。

モデルチェンジが早いということは、ライバルがいた、つまり競合車があったということでもある。ライバルはドイツ・フォードのタウヌス17Mであった。オペルはGMの子会社で、対するのはドイツ・フォードなのであるから、ドイツ車ではあるが、アメリカの自動車大手の代理戦争みたいなものだったのだろう。どちらも競争には力が入ったに違いない。事実、この時代50〜60年代のドイツの自動車業界で気を吐いていたのは、オペルとフォードだったようである。

コークボトルラインを取り入れた、レコルトC。

特にレコルトCの直接のライバルとなったのは、タウヌス17Mの4代目 P7である。タウヌスP7は幅広く、室内は広く、車高は低くと、当時の流行を取り入れた車ではあった。しかし、アメリカ車的であるということで、人気はイマイチであった。

実はフォードはこれ以前に、タウヌス17Mの初代で当時のアメリカ車そのままの車を投入し人気が芳しくなかったため、ヨーロッパスタイルの2代目タウヌスを出してヒットさせたという経緯がある。それから7年ほど経ち、人々の意識が変化してきたためタウヌスP7を登場させた。だがこれもアメリカ車すぎるという批判をあびたのである。

一方、オペルもレコルトCに流行のデザインを取り入れた。それは、コークボトルラインであった。コークボトルラインとは、コカコーラのガラス製ボトルに見られるような女性のボディラインに似た曲線を取り入れたデザインのことだ。レコルトCのリアフェンダーの近くのカーブにそのラインを見ることができる。これによって、車は全体的にまとまった印象にもなっている。

スチュードベーカー・アヴァンティ
コークボトルラインの車
最初にコークボトルラインを取り入れた車、スチュードベーカー・アヴァンティである。コカコーラのボトルをデザインした工業デザイナーのレイモンド・ローウィがデザインを担当した。
Vauxford, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
レコルトCバック
レコルトCのバックスタイル
レコルトCにも流行のコークボトルラインが取り入れられた。アヴァンティに似た流れるラインが見られる。

コークボトルという言葉からもわかるようにこれはアメリカ発の流行である。非常にアメリカ的に感じるが、この車も批判を浴びてしまうのだろうか。ところがそうはならないのだから車の流行というのは面白い。このオペルレコルトCは、当時の西ドイツの人々に受け入れられヒットした。

車のスタイルは、流れるボディラインへ。

レコルトCが登場した60年代の終わり頃は、世界的に見ても車のスタイルはより低く、幅広くなり、流れるラインを生かしたデザインが主流となってきていた。それは、各地で自動車専用道路が発達し、新しく作られる車には高速走行や長時間走行に対応できる性能が求められていたからである。空気抵抗を考えた流れるボディラインは高速走行にふさわしく、車体の幅が広く車内が広い車は快適なロングドライブが可能というわけである。

事実、西ドイツでも戦前からあった高速道路であるアウトバーンの改良や新路線の建設が進み、隣接する各国との高速自動車網が広がってきていた。これによって旅行やバカンスは鉄道の利用から自家用車の利用へとその形態が変わってきていたのである。

オペルレコルトCは、こうした世の中の流れの中でヒットした。やはり、人々の心を捉えたのは流れるようなボディラインだった。アメリカ車的という批判を抑えるほどのカッコよさだったのであろう。

レコルトCのCM
未舗装の山道を走り抜け、舗装道路では鮮やかなコーナリングを見せている。どんな道でも快適な新時代の車というイメージを伝えたいのだろう。
レストアされたレコルトC
レストアされた1971年のレコルトCである。夕日の中を走る姿が美しい。50年前の車とはとても思えないカッコよさだ!

日本のテレビドラマにも登場。

この車は本格的な高速時代を迎えようとしていた日本にも輸入され、オペルの車として多くのファンに親しまれた。60年代の日本のテレビドラマ「ザ・ガードマン」でもパトロールカーとして登場している。

「ザ・ガードマン」は、東京の警備会社の社員が活躍するアクションドラマで、延べ6年以上も放送され続けていた。最初はパトロールカーとして登場していたのはフォードタウヌスP3であったが、後にオペルレコルトCに変更されている。

ドラマは、さまざまな事件が起こり、その解決のために警備会社の社員たちーガードマンが活躍するというストーリーであり、警官や刑事とは違うスマートなガードマンたちがカッコよかった。ゆえに彼らの使うパトカーも国産車ではなく、カッコいい外車でなければならなかったのだ。スマートなボディラインで、個性的な角型ヘッドランプのオペルレコルトCは、最高の引き立て役だったのである。

「ザ・ガードマン」オープニング
オープニングからレコルトCが登場。東京の街をさっそうと走る。ガードマンにはやはりカッコいい外車がよく似合うのである。

オペルレコルトは、この後もD、Eとモデルチェンジが続けられ、80年代なかばまで30年以上も販売され続けた人気車となった。その中でもこのレコルトCは、結局シリーズ中で最も売れた車となった。

流行のラインを取り入れるというファッションアイテムのような戦略をとったということに注目すれば、レコルトCはやはりエポックメイキングな車だったと言えるだろう。

オランダの道路で見られたレコルトC
1967年に撮影された写真である。先頭を走るのはレコルトCだ。周りの車のデザインと比較すると、レコルトCのボディラインのスマートさが際立っている。さすがである。
Cees de Boer, CC0, via Wikimedia Commons】