フォードが作ったドイツ車。
フォードタウヌスは、フォードの中型車。上のタウヌスP3は1960年に登場したタイプである。しかし、なんとも愛嬌のある顔の車だ。宇宙人のようなと言うか、“クセがすごい!”と言うか、一度見たら忘れられない顔である。
またこの車、本当にフォード?と尋ねたくなる車でもある。フォードと言えばアメリカ車であり、50年代から60年代にかけてのアメリカ車と言えば、ボディが大きく、テールフィンが付くなど全体に派手な印象だが、この車はスマートなヨーロッパスタイルだ。
実は、名前にフォードと付いてはいるがこれはアメリカ車ではない。ドイツの車だ。フォードの子会社であるドイツ・フォードが製造した車なのである。では、まず時間を少し巻き戻してフォードのヨーロッパ進出について語ろう。
フォードの現地進出のコンセプトとは?
1909年、アメリカの自動車会社フォードは、イギリス・フォードを現地法人として設立。1911年からは、当時ヒットしていたフォードT型のイギリスでの現地生産を始めた。
しかし、アメリカで人気があっても、それを地元で生産して販売するだけでは、地元のメーカーに対抗できないことがわかり、次第に現地イギリスにあわせた車を生産して販売するようになっていった。つまりイギリス車を作るようになっていったのである。
イギリスに続いてドイツ・フォードも1931年に発足。ドイツの国情に合った車を製造し、販売した。そのドイツ・フォードで作られたのがタウヌスである。初代のタウヌスが生まれたのは1939年で、戦後は1948年から戦後型のデザインが加えられ1952年まで生産、販売された。
そして、1952年からは、小型車と中型車の2種類の新たなタウヌスが登場する。“新たなタウヌス”と書いたが、このタウヌスは、戦前、戦後を通して作られていたそれまでのタウヌスとは全く異なる車であった。それでも新しい名前は付けなかったのである。当時のドイツ・フォードが作る車には、すべてタウヌスという名前が付けられていた。
アメリカ車のようなタウヌスが、まず登場した。
ここで注目したいのは中型車の新たなタウヌスだ。1957年、P2とも呼ばれたタウヌス17Mがデビューする。タウヌスP2は、テールフィンが付いたツートンカラーの車であった。アメリカ本国の1955年型フォードに似たデザインで、いかにもアメリカという派手なイメージの車である。
ドイツに合ったクルマづくりを行うはずのドイツ・フォードが、なぜここでアメリカ車のような派手で贅沢な車を出したのか。いくつかの理由を推察することができる。
戦後10年以上経過し、ドイツ(西ドイツ)は急速に経済が回復。1950年代の終わりにはGNP世界第二位の国となっていた。こうした奇跡の経済回復の中で人々にも贅沢な車を購入する余裕が出てきていた。
当時、大きく贅沢な車と言えばやはりアメリカ車であった。戦後初の中型車を出すにあたってドイツ・フォードは、こんなアメリカ車らしさ、いわばフォードらしさを出した車で勝負をかけたかったのかもしれない。
また、この当時のドイツ・フォードの対抗馬だった自動車メーカーであるオペルも、やはりアメリカ車の影響を受けた車を出していた。この頃オペルが出していた中型車はレコルトだ。
ツートンカラーの車体に、前後の窓が側面にまで回り込むラップアラウンドウィンドウなど、アメリカ車の流行を取り入れた車であった。しかもオペルはアメリカのGM(ゼネラルモーターズ)傘下のメーカーでもあった。フォードとしては負けるわけにはいかない。
しかし、ドイツ・フォードのタウヌスP2には「バロック・タウヌス」という愛称が付いた。バロック、つまり古いといったイメージが感じられる愛称である。アメリカ車らしさを追求したが、ドイツの人々にはあまりよい印象を与えなかったようだ。
ドイツ生まれのフォード車、タウヌスP3。
さて、このP2に続いて1960年に登場したのが、タウヌスP3だ。このページの最初に掲載したタウヌスである。P3は、全くデザインを変えての新登場であった。P2はアメリカで設計されたものであったが、このP3はドイツ生まれのカーデザイナーウーヴェ・バーンセンがデザインを行った。つまりこのP3からドイツ生まれのフォード車ともなったのである。
タウヌスP3には、P2のような派手なグリルもフィンもない。しかし、エアロダイナミクスを考慮したフォームが美しい。さらに、楕円形のヘッドランプとそれに沿うように配置されたフロントグリルも個性的だ。一部にアメリカ車の影響が見られるが、基本的にデザイン重視のヨーロッパ車になっていると言えるだろう。そしてこの車は、商業的にも成功する。
中型車は、自動車メーカーの製品ラインナップの中核とも言える。その中型車に思い切ったデザインを採用するのは、メーカーにとっては冒険でもある。しかし、ドイツ・フォードは敢えてそれを行い成功したのである。
流れるフォームと愛嬌のある顔。
タウヌスP3の成功は、こうしたドイツ・フォードの思い切りの良さに寄るところが大きいと言えるだろう。さらにそれ以上に、流れるようなフォームを重視する車作りがこれから主流になることを予見していたという点も見逃せない。
そのおかげでタウヌスP3は、ドイツの、そしてヨーロッパの景色の中に溶け込む美しい車となった。また、この車は人々から「バスタブ・タウヌス」という愛称でも呼ばれた。緩いカーブを基調とした丸い形がバスタブに見えたのだろうか。
「バスタブ」という愛称が、愛嬌のある顔からではなく、全体的なイメージから付けられているところを見ると、この車のフォルムがいかに当時の人々に衝撃を与えたかがわかるのである。