プジョー 202

プジョー202
プジョー202  1938年

ここに、フランス車プジョーあり!

プジョー202は、第二次世界大戦前の1938年から戦後の一時期まで作られていたフランスの小型車である。ラジエターグリルの中に2つのライトがあるというスタイルが個性的だ。そのおかげで車のフロントがすっきりとまとまっている。

当時のプジョーは、大型車の402、中型車の302でも同じスタイル、つまりグリルの中に2つのライトというスタイルを採用していた。これは、当時のプジョーのいわばトレードマークでもあったわけである。

プジョー202前面
プジョー202の前面
ラジエターグリルの中に2つのライトがある。特徴的なスタイルだ。
プジョー202側面
プジョー202の側面
戦前生まれの小型車としてはスマートにまとまったデザインである。

戦争を挟んで製造され続けた車。

このようにプジョー202は、プジョーらしい小型車だったわけだが、実は戦前から戦後を通して作られ続けた車だったというところに大きな意味がある。

1939年から1945年にかけての第二次世界大戦によって、ヨーロッパ各国の自動車工場は破壊され、材料が手に入りにくくなり、工員の数も著しく減少した。

しかし、戦争が終結し経済や生活が安定し始めると、多くの自動車メーカーは新しい車を作り始める。工場が再建され、材料も従業員も工場に戻ってくるようになれば、やはり心機一転新しい車を作りたくなるのが普通だ。

ところが、プジョー202は戦前生まれの車であったが、戦争中の休止期間を挟み戦後の1948年まで生産が続けられていた。しかも、第二次大戦が終結する前の一時期にも生産を行ったという経歴を持った車である。

発売当時のプジョー202
当時の写真を集めた動画である。さまざまな形の202があったことがわかる。
プジョー202ガブリオレの写真
プジョー202ガブリオレ
オープンタイプのプジョー202に家族5人が乗っている。当時の宣伝写真と思われる。
L’Automobile sur la Côte d’azur et Peugeot, Public domain, via Wikimedia Commons】

ドイツの管理下にあった戦時下のプジョー。

1939年、ドイツのポーランド侵攻から始まった第二次世界大戦は、次第にヨーロッパ全土を巻き込み、フランスは1940年6月にはドイツの占領下となった。

占領下のフランスの産業はドイツに接収され管理されることになるが、もちろんプジョーも例外ではなく工場はドイツ軍の管理下に置かれ、フォルクスワーゲンの傘下としてドイツの軍用車両を生産するようになる。

しかも戦争が激しくなると、連合軍の爆撃によって工場の一部は破壊され、原材料や製造機械がドイツへ送られたり、従業員の数を減らされたりすることで工場が稼働できない状況となっていった。

1944年6月、連合軍がノルマンディー上陸作戦を成功させ、8月にはパリを占領していたドイツ軍が撤退。フランスは解放される。その半年後の1945年2月、なんとプジョーはこの時を待っていたかのように自動車の製造を再開させるのである。

この時生産されたのがプジョー202だった。材料不足、従業員不足の中で、しかも工場の機械の多くがドイツに接収された中での製造再開であり、生産台数は20台であった。

パリ解放の時のシャンゼリゼ通り
パリ解放
1944年8月26日、シャンゼリゼ通りで自由フランス軍を迎えるパリ市民。
Jack Downey, U.S. Office of War Information, Public domain, via Wikimedia Commons】

プジョー202が伝えたかったこととは。

プジョーが生産を再開した時、まだ戦争は続いていた。ドイツが降伏し、ヨーロッパにおける戦争が終結したのは1945年5月である。その頃には、2月に再開した工場で生産されたプジョー202が、すでにフランスの街を走っていたかもしれない。

そして終戦1年後の1946年半ばには202の本格的な生産がスタートし、1948年に後継車のプジョー203にバトンを渡すまで生産が続けられた。

戦前、戦中そして戦後を生き抜いた車、プジョー202。プジョーは、戦前と同じ車を解放後すぐに戦争継続中でも作り続けることで、人々に「フランスは不滅だ!平和な時代が帰ってきた!」と感じさせたかったのではないだろうか。実際は、新型車を開発する余裕は無かったので、今できる202の生産をということだったのかもしれないが・・・。

とにかくプジョー202は、戦争で疲弊した人々の心に希望の灯をともしたのである。プジョーであることがすぐにわかる車であったということも大事だ。我が祖国は滅んではいないというイメージを強く焼き付ける事ができたのである。

プジョー202の紹介動画
現在も動態保存されている202の紹介。車内の様子や走る姿が登場する。

この車は、小さなライオンだ。

プジョーと言えば、そのエンブレムはライオンである。最近ではエンブレムだけでなく、車の前後のライトでライオンの牙と爪を表現するなど、車体デザインでもライオンを強調している。

プジョーはもともと鉄の工具を製造販売する会社であり、主力製品であったノコギリの強力なイメージをライオンで表したという話が伝わっている。もともとライオンのような強さがプジョーの製品の“売り”だったのである。

プジョー202のボンネットマスコット
プジョー202のライオン
プジョー202ガブリオレに見られたボンネットマスコットのライオン。
Thomas Bresson, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons】
プジョー202の後輪カバー
足元にもライオン
プジョー202には、後輪のカバーにもライオンをあしらったデザインが施されていた。

さすがにプジョーは、戦争で疲弊した時代でも強さが目立っていた。難しい状況の中でもプジョー202の生産を続けることで、圧力を受けても負けないという精神を示したのだ。

プジョー202という小型車は、まさに小さなライオンだったわけである。