ホンダ バモス

honda vamos
ホンダ バモス
ホンダ バモス 昭和45年(1970年)

休日はレジャーへ。レッツゴー!

オープンで幌付きのジープのようなスタイル。でも、どちらかと言うと、ジープよりもゴルフカートを思わせるのがご愛嬌。フロントのスペアタイヤとヘッドライトのレイアウトがとってもキュートな一台。

この車は、ホンダつまり本田技研工業が昭和45年(1970年)に登場させた軽トラック、ホンダ バモスである。そう、これは軽自動車なのだ。しかも、当時の軽は、360ccエンジンで、車体サイズも現代の軽自動車より一回り小さい。それでも、さほど小ささを感じさせないのは、やはりオープンタイプだからなのだろう。

ベースは、軽トラックのTN360。

この車バモスのベースとなっているのは、ホンダの軽トラックTN360である。TN360は、ホンダ初の軽トラックT360の後継車で、昭和42年(1967年)に登場。強力な空冷2気筒エンジンを荷台の下に搭載したいわゆるミッドシップ車で、サスペンションも独自の機構を採用するというホンダらしい個性的な軽トラックであった。

このTN360のエンジンや足回りなどの機構をバモスはほぼ流用している。ゆえに、エンジンは後ろにあるため、ボンネットのないカートのようなデザインとなっているのだ。この車体にベンチシートの座席が付き、幌が付く。またドアも無く、横に1本パイプが通っているだけの開放感あふれる・・・というか野性味あふれるスタイルである。

なお、このページで紹介しているバモスはベンチシートが2列配置された4人乗りで、後ろの荷室まで幌で覆われているタイプだが、他にもベンチシートが1列の2人乗りで幌が運転席部分のみ覆うタイプもあったようだ。

ホンダ バモスのスタイル 幌を外したところもあり
ホンダ バモスのスタイル
フロントのスペアタイヤがデザインポイントで個性的。幌を取るとベンチシートが2列あり、後ろには広めの荷台がある。エンジンは後席の下で、走る際も安定感がありそうだ。こうしてみると、この頃のホンダは軽自動車の可能性を模索し、新たな車に果敢にトライしていたことがわかる。

レジャービークルとしてのバモス。

しかし、ホンダというメーカーは、いつも突飛な車を出してくる。バモスもその一台で、何でこんなの作ったのホンダさんと尋ねたくなる。

資料によると、当時カリフォルニアでフォルクスワーゲンタイプ2つまりフォルクスワーゲンのバンでオートキャンプを楽しむことが流行しており、そこからヒントを得て開発が始まったとされている。確かにスペアタイヤとヘッドライトによるバモスの顔は、フォルクスワーゲンタイプ2を彷彿とさせる。

でも、バモスの見た目からすると、イギリスのミニモークを思い出す人も多いことだろう。ミニモークは、あのイギリスの名車ミニをベースに作られた車で、ジープのようなオープンスタイルの多目的車だ。タイヤのサイズが小さく、これもまたカワイイ一台であった。そしてビーチバギーとしてレジャーに使われ、世界各地のリゾート地で人気車となる。

フォルクスワーゲンタイプ2を改造したキャンピングカーの写真
フォルクスワーゲンタイプ2のキャンパー
タイプ2をキャンピングカーに改造した車である。VWの丸いマークとヘッドライトの感じがバモスの顔を思わせる。
Paul Palmer is the photographer, CC BY 2.5, via Wikimedia Commons】
ミニモークの写真
ミニモーク
イギリスの名車ミニをベースに作られた多目的車。1964年から製造、販売されている。ビーチバギーとして人気車となった。
I, 天然ガス, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

そう、ホンダ バモスは、キャンプやビーチがキーワードなのだ。この車は、軽トラックなのではあるが、レジャー用車つまりRVとして使われることも想定して開発されたのである。この車の名前からしてそうだ。「バモス」とはスペイン語で「さあ、行こう!」という意味がある。英語にすればレッツゴー!である。

しかも新登場の際、この車はホンダ バモスではなく、バモス ホンダという名前で紹介された。西欧風に名前から呼んでくれというわけである。バモス ホンダつまりレッツゴー!ホンダだ。70年代の若者ウケを狙ったネーミングではあるが、やはりレジャーでも大いに使ってくださいとホンダは訴えたかったのだろう。

この頃、車に対する意識が変化していた。

このようにバモスは、レジャー用車であることも想定して開発された車である。昭和40年代の中盤、1970年代になると、日本人にも車そのものをレジャーとして使おうという意識が芽生えてきていた。ホンダはいち早くそこを捉えて、開発を行ったのである。

ホンダ バモスの実車の写真 奥にホンダ ライフステップバンも
イベントで展示されたバモス
2023年に岐阜県高山市の道の駅「モンデウス飛騨位山」で行われたイベントに展示されたホンダ バモス。奥の車は1974年製のホンダ ライフステップバン。今主流のトールタイプワゴンの元祖とも言える車だ。両車とも70年代のホンダの遊び心を感じさせる。
先従隗始, CC0, via Wikimedia Commons】

大阪で日本万国博覧会が開催された昭和45年(1970年)という年は、日本人全体が、新しい時代の波を感じた年であったが、モータリゼーションの面でも新しい波が生まれてきた頃と言えるのではないだろうか。特に、軽自動車の中に遊びに使える車がいくつか登場しているのが興味深いところである。

まず、筆頭として挙げられるのがスズキ自動車のジムニーであろう。スズキ ジムニーは今も納車待ちという人気車だが、最初に登場したのが、バモス登場と同じ昭和45年(1970年)であった。軽自動車初の量産型四輪駆動車として農林業や雪国の貨物自動車として重宝され人気車となった。

だが、スズキ自動車としては最初からレジャー用車として使ってほしいという意図があったようだ。初期のCMを見るとそれがわかる。カウボーイハットのタレントが運転するジムニーが砂浜を縦横無尽に走るというシーンが出てくる。アメリカンスタイルでレジャーのイメージを訴えているのである。

また、ダイハツ工業からは、これもまた同じ昭和45年(1970年)にダイハツ フェローバギィが出ている。ダイハツの軽自動車フェローをベースに作られた2人乗りのバギーである。100台の限定生産だったようだが、この車はもう完全に遊び車である。こう考えると、昭和45年(1970年)はまさに軽RV車のエポックメーキングな年と言えるかもしれない。

スズキ ジムニー550の写真
スズキ ジムニー
上の写真は昭和51年(1976年)から販売された550ccのジムニーである。初代よりは一回り大きくなっている。本格的四輪駆動車として大いにアウトドア・レジャーに活用された。
ダイハツ フェローバギィの写真
ダイハツ フェローバギィ
ダイハツ フェローピックアップをもとに作られた、二人乗りのバギー。エンジン、シャーシ、足回りなどはそのままに、FRP製のボディを取り付けている。
Mytho88, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】

日本にも、レジャー用車を持つ時代が?!

昭和43年(1968年)に日本のGNPがアメリカに次ぐ世界第2位となり、この頃は、日本の高度経済成長も頂点に達していた時代である。人々の間にも大いにゆとりが広がっていた。

個人が自家用車を持つことはまだ大変ではあったが、すでに夢ではなく普通の生活となっていたと言えるだろう。ゆえに、2台目の車としてレジャー用車を持つこともそれほど抵抗が無かったのではないだろうか。それも軽自動車なら大丈夫・・・ということで軽のRVである。

こうした時代背景の中でバモスは登場した。しかし、昭和45年(1970年)から昭和48年(1973年)まで3年間販売されたものの、売り上げは芳しくなかった。月産2000台と見込んでいたものの、生産台数は全部でわずか2500台であった。

バモス ホンダのカタログ
70年代らしいポップなムードのカタログ。「機動トラック<バモスホンダ>でレッツコ゚ー!」というキャッチフレーズが泣かせる。バモスは、バギーやジープではなく、機動トラックなのである。状況に応じて自由自在に使ってね・・・と言いたかったのだろうか。

一億総レジャー時代を見越して開発したバモスも、やはり当時の人々にはまだ受け入れられなかったようだ。四輪駆動でなかったのが主な敗因と見られているが、いずれにしても「休日にはバモスホンダで海に山にレッツゴー!」といったホンダの目論見通りにはならなかったのである。

でも、この車、意欲的で個性あふれる軽自動車であったことは間違いない。車のユーザーの遊び心はまだまだでも、この時代のメーカーの方は、やはり遊び心満載で車を開発していたのである。

バモス ホンダ走行動画
本田技研工業が公開しているバモスの動画である。まず各部の様子を紹介し、次いで走る姿を見せてくれる。