jaguar ss100

これぞ、イギリス車。ジャガーである。
精悍なスタイルのツーシーター。大きめのヘッドライトがチャームポイントのスポーツカーである。これはイギリスの自動車メーカーSSカーズのジャガーSS100だ。1935年から生産され、1936年にはロンドンモーターショーに出品され、話題を集めた。SSカーズとしても自信作であり、一般の評価も高かった車である。
ジャガーと言えば・・・。
さて、この車、名前はジャガーである。ジャガーとはイギリスのあのジャガーのことではないのか、と考える人も多いだろう。そのとおりである。SSカーズとはジャガーの前身であり、このジャガーSS100こそ、ジャガーという名前が初めて付けられた記念碑的な車でもある。
当時は動物の名前を車に付けることが多かったようで、SSカーズは、この小さくて精悍なスタイルのスポーツカーに「ジャガー」という名前を付けた。確かにSS100のフェンダーのしなやかなカーブ、大きなヘッドライトなど、その印象はネコ科の動物を連想させる。なかなか的をついたネーミングでもある。

前輪から後輪にかけてのフェンダーのしなやかなカーブ、大きめのヘッドライト・・・。獲物を狙って飛びかかろうとするネコ科の動物の姿を連想させるスタイルだ。この車に「ジャガー」とはよくぞ付けた。
SSカーズとは、どんなメーカー?
メーカーのSSカーズとは、もともと1922年創業のスワロー・サイドカー・カンパニーというサイドカーを作るメーカーであった。サイドカーとは、オートバイの脇に付けられたシート付きの車で、オートバイと一体になって三輪車として走るように設計された乗り物のことである。
そのサイドカーメーカが、次第にコーチビルダーとしての仕事も請け負うようになり、自動車メーカーへと発展して行く。なお、コーチビルダーとは、一般の自動車メーカーで開発、製造された車に独自のデザインのボディを設計、デザインし、架装するメーカーのことである。
サイドカーメーカーだったスワローがコーチビルダーとして最初に製造、販売を行った車は、イギリスの老舗自動車メーカーオースチンのオースチン7であった。エコノミータイプの大衆車として人気のあったオースチン7に、独自のボディを架装しツーシーターのスポーツカーとして売り出したのである。

スワロー・サイドカー・カンパニーが最初に作ったサイドカーと思われる。写真に写る二人は創業者のウィリアム・ウォームズレイ(左)とウィリアム・ライオンズ(右)。
【[2], Public domain, via Wikimedia Commons】

スワローがオースチン7をベースにコーチビルディングした車である。クリームとブルーのツートンカラーが小粋なスポーツカーに仕上がっている。イギリスのコヴェントリー交通博物館所蔵。
【Tristan Surtel, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
このオースチン7 スワローは、低価格ながら高級車のようなイメージを持つ車で人気となり、これ以降、スワローは、様々なメーカーの車をベースとし、コーチビルダーとして個性的な車を次々と製造、販売するようになるのである。
1932年、スワローは初の自社製自動車を開発する。エンジンやシャーシは中堅の自動車メーカーであったスタンダード社から供給を受けたものの、他メーカーの車のコーチビルディングではなく、自分たちの車を作り上げたのである。
そして、その車にSSという名前を付け、1934年にはメーカー名もSSカーズとした。SSとは、スワローの「S」とスワローにエンジンやシャーシを供給したスタンダード社の「S」を繋げたものらしい。

オランダのアムステルダムにあった販売店の1930年代の広告である。「速く、優雅で、静か」とSSカーズの車を宣伝している。上部の流れるようなSSの文字が速さを強調していて面白い。
【Conam.info, Public domain, via Wikimedia Commons】
低価格で高性能なSS100。ジャガー。
少しメーカーの話が長くなったが、こうしてオリジナルな自動車を開発、製造するようになったSSカーズが、新たな高性能車をユーザーに届けるという意気込みで1935年に登場させたのがジャガー SS100である。
当時の社会は世界恐慌の影響を受け、不況に喘いでいた。こんな時代の中で、購入しやすい価格であったSSカーズの車は、ある程度の人気を得ていた。しかし、デザインやスタイルは評価できるものの、搭載するエンジンは“物足りない”とか、“見掛け倒し”というのが一般の見方だったことも事実であった。
そこでSSカーズは、それまでのエンジンに改良を施し、より出力の出せるOHV(オーバーヘッドバルブ)エンジンを開発。そのOHVを搭載したジャガー SS100を売り出すのである。これにより、SSの車は見掛け倒しではなく、そのスタイルにふさわしい高性能車となり、大いに人気を得ることとなった。
しかも車の名前も「ジャガー」とし、その性能の高さや車の速さを強調したのである。また、ジャガーのボンネットマスコットが登場したのも、このSS100からである。車の性能向上に加え、車のイメージアップも果敢に行ったのがこの当時のSSカーズだったわけだ。

2022年にイギリスのハンプトンコート宮殿で行われたクラシックカーイベント「コンクール・オブ・エレガンス」に出展されたSS100である。1939年製とのことなので、生産終了の少し前の車だ。それにしてもエレガンスである。
【MrWalkr, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons】
そして1939年から第二次世界大戦が始まり、1940年、ジャガーSS100の生産はストップする。大戦は、1945年に連合国側の勝利によって終わりを告げるが、ジャガーSS100の生産が再開されることはなかった。ゆえに生産台数は314台と少なく、今ではオークションで高値で取引される車となっている。
ジャガーは、車の名前からメーカーの名前へ。
1945年、SS100の生産再開こそなかったが、SSカーズは、この車の名前であるジャガーを正式にメーカーの名前とする。戦後の新しい時代に向けて会社も大きく変わろうと考えたのだろう。
では、なぜSSをやめたのだろうか。それは、ナチスドイツの悪名高い組織である親衛隊が「SS」だったからである。確かに当時はまだ戦争の記憶が生々しい時代だった。SSを新時代の自動車メーカーの名前には使えなかったのだろう。そうかといって、元々の名前であるスワローにもならなかった。
スワローは英語のツバメのことだが、「スワローに戻すよりは、ジャガーのほうが速そうで、どこか重みがあるね」と・・・、これは想像だが、こんなことだったのではないだろうか。

スワローがコーチビルディングしたオースチン7のボンネットに付けられていたツバメ(スワロー)のマスコット。1930年製。
【nemor2 from Stuttgart, Germany, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】

ジャガーSS100に付けられたジャガーのボンネットマスコットだ。確かにこちらの方がツバメよりも速そうなイメージである。
【Steve Glover from Bolton, Lancs., England, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons】
いずれにしても、最初のジャガーであるSS100が、高性能でスタイルも抜群なスポーツカーとして人々に受け入れられたのだ。そのまま社名として大正解だったのは間違いない。現代の私たちもジャガーと言えばあのイギリスのかっこいいスポーツカーという印象を持っているのだから。
1938年製造のジャガーSS100の美しいスタイル、コックピット、走る様子などを紹介する動画。クラシックカーのオークション業者であるH&H Classicsが制作したものだが、木立の中を走るSS100の優雅な姿が捉えられている。