タイプ1から生まれた人気車。
フロントに大きなVWのロゴマーク。ドイツの自動車メーカーフォルクスワーゲンの商用バンである。曲線のラインを生かしたフロントのデザインが個性的で、今でもファンが多い。ボンネットの無いキャブオーバータイプの商用車としての歴史は古く、1950年に登場した。
上の写真は初代のT1であるが、このT1から2022年発売の第7世代T7まで存在する。つまり、現在も製造、販売が続けられている車でもある。
この車、フォルクスワーゲン タイプ2という名で呼ばれている。では、タイプ2ならばタイプ1もあるはずで、タイプ1とは何か。それは、フォルクスワーゲン ビートルのことである。ビートルと言えば、誰もが一度は目にしたことがあるあの丸いリアエンジン車だ。戦後のドイツ車を代表する車でもある。実はタイプ2の登場にあたっては、そのビートルが大きく関係している。
フォルクスワーゲンというメーカーとは?
まずここでフォルクスワーゲンというメーカーについて少し触れておこう。フォルクスワーゲンには“国民車”という意味がある。第二次世界大戦前の1934年、当時のドイツ総統であったアドルフ・ヒトラーが打ち出した「すべてのドイツの家庭に車を」というプロジェクトに従って現在のビートルの原型とも言える車が開発される。その車を大量生産するために、製造会社として1937年に創立されたのがフォルクスワーゲンである。
そのフォルクスワーゲンも、第二次世界大戦がはじまると国民車どころではなくなり、軍用車両の生産を行う。しかし、大戦が終わると、終戦の年である1945年から早くも乗用車の生産を始めるのである。
その車が、タイプ1つまりビートルだ。しかも、単に生産を再開しただけでなく、徹底した品質管理や販売網の確立に努めた。それによりタイプ1はヒットする。多くのユーザーから支持を得たのである。
タイプ2のヒントは工場内にあった。
さて、タイプ2であるが、この車の開発にあたっては面白い話が伝わっている。1947年にタイプ1がオランダに輸出されることになり、オランダの自動車ディーラーが工場見学に訪れた。そのディーラーが、工場内で使われていた配送用車両を見て、この車両が貨物自動車になるのではないかと提案したことが、タイプ2開発のきっかけとなったのである。
当時の工場内の配送用車両は、タイプ1のシャーシをベースに作られたもので、後部のエンジンの上に運転席を乗せ、前方に木製の荷台が付いたものだった。これで、工場内で部品や工具、部材などを運んでいたのである。オランダのディーラーは、この配送車を元に運転席を前にしたパネルバンを作ったらどうかと考えた。そこで、簡単なスケッチとともに提案したそうである。
当時のフォルクスワーゲンにはタイプ1しかなかった。人気があり、生産も順調であったが、タイプ1だけでは自動車メーカーとして心もとなく、製造車種を広げなければ発展は見込めないことがわかっていた。そこでフォルクスワーゲンは、タイプ1をベースにしたキャブオーバー型の商用車であるタイプ2の開発を本格的にスタートさせるのである。
発売されるやヒットしたタイプ2。
フォルクスワーゲンタイプ2は、タイプ1をベースにしているため、エンジンはリアに搭載されている。そのため、車体の大きさに比べ運転席も荷室も広く、商用貨物として便利な車となった。
当時の貨物車はまだ戦前からあるボンネットトラックが普通であった。ボンネットがなく、スペース効率の良い箱型の車はまだまだ少なかったのである。しかも、信頼性の高い乗用車であるタイプ1がベースのため、耐久性に優れ、商用の貨物車ながら乗り心地がよいというメリットもあった。
タイプ2は、1950年から発売が開始されるが、発売されるやいなや人気を呼ぶ。ドイツを中心にヨーロッパやアメリカで好評を得たのである。しかも、この車、運転席から後がすべて荷室となるパネルバンだけでなく、後部にも窓のついたバンや荷台だけが付いたトラックタイプ、多くの座席がついた小型バスタイプなど多種多様な車が製造、販売された。
箱型という特徴が商売に貢献。
市場の人気を得てフォルクスワーゲンタイプ2は、この後、商店や企業の配送用車として大いに活躍したのだが、小型の箱型パネルバンという当時はまだ珍しかったこの車の形は、1950年代中盤から60年代にかけての商業に大いに貢献することになった。
それは、企業や商店が、タイプ2の広い車体面全体に商品の絵や名前、キャッチフレーズなどをを大きく掲げることができたからである。この車が街を走り回るだけで、効果的な宣伝ともなった。独自のデザインを施したタイプ2を、まさに企業の広告戦略として活用したわけである。
戦争が終わって10年以上が経過していたこの時代は、戦後の広告活動が一気に花開いた時代でもある。テレビや雑誌などのマスコミ広告が一気に拡大するとともに、街や商店におけるセールスプロモーションも大いに行われていた。
このページの最初に掲載したタイプ2は、イタリアのPaiという菓子メーカーの配送車である。Paiは、イタリアではポテトチップスで知られた戦後生まれのメーカーで、商品の配送のために白、黄色、赤で塗り分けた配送車を街中に走らせていたようである。その配送車にタイプ2も使用されていた。目立つ色使いのボディにキャラクターを大きく描いたタイプ2は、いやが上にも目立ったことだろう。
車体に絵を描く車、VWタイプ2。
タイプ2の広い車体に絵を描くということでは、さらに注目すべきことがある。特に初代のタイプ2であるT1は、1960年代後半のヒッピー文化の中で若者たちに愛用された。彼らがタイプ2を愛したのは、その車体にサイケ調の模様やピースマークなどさまざまなイラストを描いて自分たちの存在を主張できたからなのだ。
やはり、この車フォルクスワーゲンタイプ2は、広い車体に絵を描きやすい車・・・というか絵を描きたくなる車なのである。それによってこの車はまた、ビートルに次ぐフォルクスワーゲンのもう一つの人気車ともなったのである。