ダットサン ブルーバード

ダットサン ブルーバード510型 昭和42年(1967年)

世界に羽ばたく、「幸せの青い鳥」。

ダットサン ブルーバードは、昭和34年(1959年)から40年以上も販売されていた日産自動車の主力車種。発売当初は日産のブランド名ダットサンが付けられていた。日産ブルーバードとなるのは昭和58年(1983年)発売の7代目からである。

童話から命名したブルーバード。

ブルーバードという名前は、メーテルリンクの童話「青い鳥」から来ており、当時の日産の社長が命名したようである。幸せの青い鳥なのであるから、やはりこの名前は簡単には捨てがたかったのだろう。車種は無くなっても、後継の新規車種に名前だけは残り、平成24年(2012年)まで使われていた。

ブルーバードと言えば、昭和30年代から40年代にかけてトヨタのコロナと販売合戦を繰り広げたことでも有名だ。排気量を競い合ったサニーとカローラの宣伝合戦もよく知られているが、ブルーバードとコロナはそれよりも前の話で「BC戦争」と呼ばれていた。

さて、このページの最初に掲げた写真の510型は、3代目ブルーバードで、昭和42年(1967年)に発売されたモデルである。シリーズの中でも人気が高く、ブルーバードと言えばこの型を思い出す人も多い。

ブルーバード510型のスタイル
ブルーバード510型のスタイル
2代目であった410型は丸みを帯びだヨーロッパ調であったが、510型は直線を基調としたデザインとなった。フロントドアに付いていた三角窓も無くなり、よりスマートに。
510型実車
ブルーバード510型実車
昭和45年(1970年)に登場した4ドアセダン1800CCのSSSである。運転席側の窓枠に付けられたラジオアンテナが特徴的である。
Ypy31, Public domain, via Wikimedia Commons】

この年の前年に日産は大衆車のサニーを投入しており、この3代目からブルーバードはグレードの高いクラスに移行している。そのため、ボディサイズはそれまでのものに比べ大きくなり、よりスマートなスタイルとなった。また、エンジンはスカイラインやフェアレディにも搭載されているものを積んでおり、やはり誰もが乗れる車と言うよりも、ワンクラス上の余裕を求めるユーザーを狙っていたようだ。

当時のCMを見ると、ブルーバードが、サニーのようにファミリー層狙いではないことがよくわかる。本物がわかる人が乗るワンクラス上の車なのである。面白いのは、ドラマ仕立てのCM「心に残る男の車」シリーズだ。それは、ブルーバードに乗る男性が困っている女性を助けるというミニドラマになっており、本物に乗る男性はカッコいいだけじゃない、心にも余裕があるのだと訴えている。

「心に残る男の車」CM
列車に乗り遅れた女性を、男は、雪の降りしきる中ブルーバードで次の駅まで送ってゆく。女性に名前を聞かれても、「さあ、急がないと。また乗り遅れますよ。」と、カッコいいのである。北海道あたりで撮影されたのだと思うが、この頃はまだSLが普通に走っていたのだ。

憧れだったブルーバードSSS。

この当時のブルーバードと言えば合言葉のように出てくるのがSSS、つまりスリーエスだ。SSSとは、スーパー・スポーツ・セダンの略で、車のグレード名である。だが、SSSと聞くだけで、車大好き人間はワクワクが止まらなくなった。そんな神通力のある名だったのである。

このグレード名の流れは、2代目からすでに存在していた。エンジンのグレードをアップしたタイプをスポーツ・セダン(SS)と名付け、スポーティなドライブが楽しめるモデルとしたのである。そのSSのさらに上のグレードとして登場したのがSSS、スーパー・スポーツ・セダンである。

このSSSが注目され、大いに人気を集めたのが、3代目のブルーバードである510型からである。エンジンは1600CC直列4気筒を積み、サスペンションは日産初の四輪独立懸架を採用していた。

SSSは、ラリーで3冠を達成した。

そのSSSの凄さは単に名前だけではなかった。レースでその性能を実証して見せた。昭和45年(1970年)の東アフリカサファリラリーにおいて総合、クラス、チームの各部門で優勝し、日本車初の3冠を達成したのである。ひどい砂埃の中や泥沼となった道を突っ走る過酷なレースを制する・・・これはまさに快挙であった。

さらに、ブルーバードの活躍は石原裕次郎主演の映画「栄光への5000キロ」でも取り上げられる。これは、昭和41年(1966年)の東アフリカサファリラリーでのブルーバードの活躍を記した原作をもとに、映画製作会社が日産自動車とタイアップして制作した映画である。当時の日本映画としては破格の4億円という巨費が投じられていた。実際にこの映画では、ブルーバード510型が撮影を兼ねてラリーに出走し、総合5位に入賞している。

サファリラリー優勝車
サファリラリー優勝車
昭和45年(1970年)の東アフリカサファリラリーで優勝したブルーバード。前年の映画「栄光への5000キロ」に登場した510型と同じカラーリングで出場し、優勝を果たした。
韋駄天狗, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons】
「栄光への5000キロ」予告編
この映画の原作は410型が出場した昭和41年のラリーの話だが、映画では当時の現行車種である510型が登場。実際にラリーにも出場した。

海外で注目されたブルーバード。

ブルーバードはこうした実績を残し、海外でも注目される車となったわけだが、初めてアメリカでヒットした日本車という点でも大きな意義を持つと言えるだろう。今でこそ日本車はアメリカで確固たる信頼を築いているが、当時の日本車と言えば、低価格だがまだまだアメリカ車に敵わないというイメージがあった。

しかし、ブルーバードは「プアマンズBMW」というあだ名を頂戴したそうだ。当時の自動車大国の人々もこの車の高い品質と先進性能、スタイリングを認めざるを得なかったのである。

アメリカの日本車人気の源流がここにある。

ブルーバードは、当時のアメリカでは免許をとったばかりの若者が乗る車として人気を得たそうだ。若者でも買うことのできる、あるいは親が買い与えることのできる手頃な価格で、しかもそれなりの性能があるとされたのである。

これによって、アメリカの70年代始めに若者だった世代は、日本車の良さを初めて体験した世代にもなった。その世代もいまでは70代を迎えるが、その子どもたちは30代から40代、アメリカ社会を動かしている中心世代だ。こうした人々が現代アメリカの日本車人気を支えているのだろう。

実際、日本車は高性能で故障知らずの車としてアメリカで人気が高い。2022年のデータによるとアメリカで売れる自動車トップ10の中には、日本車が7台入っているそうである。また、日本車大好きのアメリカ人が日本車の旧車を紹介するyou tubeのチャンネルもある。こうした現代アメリカの日本車人気の原点が、3代目ブルーバード510型なのだ。

動画「スティーブ的視点 Steve’s POV」
日本車大好きアメリカ人のスティーブが日本車の旧車を紹介する動画。人気のyou tubeチャンネルでもある。上の動画は、日産車の集まるイベントでのものだが、ブルーバードも紹介されている。しかし、こんなに昔の日本車大好き人間がアメリカにいるという事実に驚く。

ダットサンブルーバード、「青い鳥」という名を持つこの車は、日本人にとっても日本の自動車メーカーにとっても、そしてアメリカ人にとっても、文字通り「幸せの青い鳥」なのである。