歴史人物年齢学

大岡忠相 四十一歳

江戸南町奉行に抜擢。

大岡忠相は、享保二年(1717年)四十一歳で江戸南町奉行となった。当時、町奉行はみな六十歳前後の老人が任命されたことを考えると、これは、異例のことと言える。伊勢山田の奉行であった忠相の仕事振りを知る八代将軍吉宗の推挙であったかもしれない。

彼は、民事裁判でその“大岡裁き”振りを発揮したと言われている。こんな話が伝わっている。ある肴屋が、寺の僧侶たちが買った肴の代金をなかなか払わないので、お恐れながらと訴えた。奉行はそのような訴えがあると、普通両方を呼び出して裁きを下すものである。だが、忠相は、
「その肴屋を家へ帰せ、そして明日、金を払わぬという僧侶たちだけを呼び出すのだ」
と言う。しかし、翌日僧侶たちが奉行所にやって来ても、忠相は、彼らの前に出て行こうとはしない。
「お奉行様、お会いにならないのでございますか?」
「よいのだ、捨ておけ、捨ておけ」
ところが、僧侶たちが厠に行くと、その壁に、誰それは肴屋に何両の貸しがあるという一覧表が貼ってあったのである。呼び出された僧侶たち、みな恐れ入って借金を肴屋に払ったと言う。

大岡忠相(1677〜1751)
伊勢の山田奉行在任中、紀伊藩主徳川吉宗に認められ、吉宗の将軍就任とともに江戸南町奉行に抜擢。後に寺社奉行に任ぜられる。

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鷹